ありえないような非現実を書く作品は多いし、荒唐無稽な世界を読むこともある。
マジックリアリズムとか難しい実存とかいう言葉でジャンル決めされている作品を好んで読むことがあるが、実は人間がなんとなく好きで、多様で面白い。これは一種の文学的な遊びのようでもあり、ちょっと違った感性の切実な部分を戯画的に作品にする、人間の多様を真っ直ぐに描いた村田世界に、新しい文学を感じる。
人間の現実は、食べて寝て仕事をして、赤ん坊から成人になると子孫を増やして老いて死んでいく、そんなひとの一生の形は、非現実であってもなくても、あまり知らない国で肌の色が違ってもなぜか同じ命の灯火を燃やして消えていく。そんな文学はおもしろい。
夢や幻想だったり見たこともない異世界が舞台でも自分の生き方とどこか重なってしまうところがある、同感同感という肯定具合が、楽しい。現実とのずれを自覚したりしなかったり、それでも人はどこか似通っている部分を持つ、同性であったり日常の重さだったりして、登場人物と同じ時間を過ごしていたりする。こんな時は自分に正直に自然体で生きていけることも多いと思える。
村田さんの作品をまだ二冊しか読んでいないが、自分の幹に自由に枝葉を茂らしてきた主人公は、それでもキホン変わることができない生きにくさを感じている。こういった人格を持って生まれたとしたら、それでも愚直に正直に自分の望む生き方を貫くのが面白かったりする。たまに疑問が生まれるとしてもストーリーに乗れば別な方法は見つけられない。そんな自分の一部にも似た人間の魂が面白い。
訳が分からない未知の未来に向かって日々過ごしていることが少しばかり不安で、マトモというのはどういう生き方なのだろうと思ったり、まともな人が、少しずつ正規のルートからがずれて行っても社会に収まっていれば個性と呼ばれることもあるしなどと思ったり。直接被害にあわなければ他人の生き方に干渉する筋合いはないものだと思ったり。自分に慣れ、はまる形の世界が偶然見つかる。たとえ人と違った暮らしでも生きていけるならそれでいい。そんなことを想いながら少し踏みこんで主人公といっしょに歩いてみる。
喧嘩を止めるのにスコップでたたいてなぜ悪い?死んだ小鳥を焼いて食べようとするのに土を掘って埋めるはよほど可哀そうだ、生き生きと咲いている花をちぎって墓に飾ったり、訳が分からない。そんな娘に両親は「この子はいつ治るのか」と悩んでいる、何をどんなにすればどう治るのか分からない。
必要なことしか喋らず、周りの行動に従えば「治ってきた」と両親はほっと胸をなでおろすようだ。
生きるために稼がなければいけない。大学生の時、無機質なビル街でコンビニがオープンした。そこで週五日のバイトをはじめ、独り暮らしも始めて今に至る。
マニュアルを完璧に使いこなすと生きやすい、やる気が出た。苦手な人間関係も、店員仲間はバイトだし入れ替わるし。言葉もそれとなく人のまねをしても会話は成立する。そうして仮の社会参加も完成した。自分ではないコンビニ人格でもまずまず社会に通用する。そしてここのバイトもかれこれ18年。
ところが、現実に年を経ると友人たちの形も変わってくる。結婚だ子供だって煩わしい、現実からは逃げきれない。
バイトの変人の男と同棲してみる。男はそれなりの主義も主張もあって食うや食わずのバイト生活をしている。まぁ社会に通用しない説で鎧っているが男も生活のためにいやいやながら同意した。
人並みに同居というが風呂場と居間で別居生活。
それがバレた。
どう始末をつけるか、面白い。
両親も妹も優しい。「早く治さないと」
だが彼女は生きる、
幸い別のコンビニを見つけた。
人であることには様々な生き方があり、様々な苦楽がある。社会に染まない自己を知りつつ我が道を行く村田作品をまだまだ読みたくなる。
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