熊と人に関する雑学といったところ。
体系的に歴史を見ていくというより、トピックをぽんぽんぽんと拾っている感じ。
人は時に熊に親しみを覚え、時に畏怖を感じてきた。童話やテディベアに代表されるように、もこもこで愛すべき存在として捉えられることもある一方、実際には力も強く、人を傷つけ、命を奪うこともある。
熊についての神話や物語は世界のさまざまな地域にある。古い壁画も残っており、ドウクツグマやヒグマとの関わりがあったものと考えられる。
多くの人に愛されるパンダも熊の仲間である。16世紀末の『本草綱目』には掲載されておらず、広くは知られていなかったものかもしれない。一方、4千年前のものとされる中国中央部の墓から人の骨とパンダの骨が一緒に見つかっており、少なくともこの地域では、人とパンダの関わりはあったようである。
熊をペットとして飼おうという試みも古今東西であったようだが、子熊のうちはともかく、大人の熊を飼いならすのは難しいようである。
アイヌによる子熊の飼育はよく知られる話だが、その際、人間の乳を飲ませることも珍しくなかったそうである。世話係の女性にとっては情が移って別れ(こうした熊は長じて、イヨマンテの祭で屠られることになる)が辛かったことだろう。
シベリアのギリヤーク族の熊祭を、ドイツ人の動物学者・文化人類学者が記録した例も紹介されている。熊たちは村中を連れまわされた後、矢を放たれて最期を遂げる。ただ、祭のすべてがよそ者に公開されたわけではなく、例えば熊の頭部がどうなったか等、見せてもらえなかった儀式もあったようだ。
熊は狩猟対象でもあった。熊の肉や皮自体が目的というより、家畜を守る意味があり、また、銃器が発達してからは、「スポーツ」の側面が強くなる。銃器の性能がよくなるにつれ、熊が絶滅する地域も出てくる。
一方、見世物になる熊もいる。遠い地から連れてこられ、爪や牙を抜かれ、首に鎖を巻かれる。ホッキョクグマのショーもあったという。
熊は「粗野」などの寓意と結び付けられることもあるが、かわいさを強調されることもある。19世紀末にはぬいぐるみや家具の意匠となったり、毛皮が敷物や椅子となったり。
世界的に数が減っている熊だが、保護して数が増えれば家畜や人への害も増える。
人の方は自らの都合で熊に親しみを感じたり、逆に憎んだりしてきたが、熊の側はそれほど、人に興味はないようである。
無益な衝突が生じないよう、人の側が節度を持って接していくことが、これからの熊と人との関係では大切なことなのかもしれない。
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