他の単行本にも採録されている表題作を含み、読書に関する文章とくに書評を中心に編まれた作品集です(一部、映画評もあり)。没後、そして全集刊行後の編集刊行で、これもまたいわば「あとだしじゃんけん」の1冊です。単行本表紙に使われているのは、著者愛蔵の豆本とのこ。
単行本の末尾には、著者の上智大時代の教え子という、青柳佑美子氏のエッセイ「すべては昔々のものがたり」が収められています。教え子だけに、このエッセイでは少しだけ「教師・須賀敦子」があらわれてきます。彼女が投げかけられた言葉に、「Your reading is too shallow. You could do much better.」と「Find your voice.」というものがあるとのこと。なかなか厳しい先生でいらしたようです。
翻訳家・大学教授から「エッセイスト」として読書界にデビューしてから、新聞各社の書評委員などとして活躍されたことはよく知られていることですが、ここで収められているほとんどはその時期に発表されたものです。そのため1990年代の文章がほとんどですが、「II」には小説論が2編収められています。80年代と90年代に書かれたものとのことですが、こうした文学論を展開する文芸評論家として活躍する方向もあったろうかと感じさせます。
新聞書評が中心ということもあって、その多くは2頁と、手軽に読める分量です。依頼された文章とは異なり、選書にはある程度の自由があったのでしょう。翻訳ものや、日本人著者のものでも海外事情を紹介したものがが多めであることなど、著者の好みもわかります。阪神大震災や戦時を扱った書も少し含まれていることを考えあわせれば、好みだけではなくその履歴も反映されてくるのでしょう。
『本に読まれて』では、ジェラール・フィリップの妻の書が紹介されていましたが、こちらでは『ジェラール・フィリップ』という伝記が紹介されています。30半ばで夭折した二枚目の名優とはいえ、世代も入れ替わり今となっては、「知っている人」「映画を観たことがある人」も少なくなってきているかもしれません(私の初見は「モンパルナスの灯」でした)。
さすがに著者は同時代にジェラール・フィリップの主演映画を楽しんだ世代であろうとは思われましたが、舞台俳優時代の彼を現地フランスで観劇していたとは驚きました。もしかしたら、彼女にとっては同時代・同世代を生きる同志的な存在だったのかもしれません。
何より、冒頭に付されている「塩一トンの読書」の存在感が大きい1冊ですが、こちらの初出は岩波書店が作製し店頭で無料配布していた「読書のすすめ」に寄せたものとのことです。「塩1トン分の本」を読まないといけないのか、という誤解をしそうなタイトルですが、タイトルは「読書」です。もともとは、ひと一人を理解するには塩1トン分を一緒に舐めるくらいでないといけないというイタリアの姑の言葉からのものです。
人と同じく本であっても同じように、それくらいの時間や手間ひまをかけての読書を通して理解することを薦めるものです。一方、実は1冊の「本の理解」をあまりに手軽に考えてはいないか、という手厳しい指摘ともいえましょう。まさしく、「Your reading is too shallow. ~ Find your voice.」です。
ただ、どうしても、塩1トン分を一緒に舐めることなく逝った姑と夫への追悼になっている一文でもあることに気をとられてしまいます。だから、彼女は追悼のような回想のエッセイを書き綴っていったのか、と勝手に納得してしまうのです。
この書評へのコメント