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オスカー俳優ユル・ブリンナーを輩出した一族の四代記

  • レビュアー: さん
  • 本が好き!1級
ロシアからブロードウェイへ
黒澤明の「七人の侍」をアメリカ西部劇に自ら翻案した「荒野の七人」や、映画史上最大級のスペクタクルとされる「十戒」、そして記録的ロングランとなったブロードウェイ・ミュージカル『王様と私』などで知られるオスカー男優ユル・ブリンナー。本書は1950年代以降、世界的名声を不動のものにした名優ユルの息子が綴る、ブリンナー家四代の「小説よりも奇な」オデッセイア(遍歴)だ。

スキンヘッドの大スターは、その生涯で数知れないインタビューを受けたが、自身のルーツに話が及ぶと、適当に言葉を濁した。言うことが毎回違うので、聞き手はかえって拘った。サハリンでロマ(ジプシー)の血を引く未婚の母から生まれた、などのデタラメは、実の姉を激怒させ、絶縁状態になったこともある。なぜ煙に巻き続けたのか。

事実に即すと、ユルは1920年7月、ロシア極東の日本海に面したウラジオストクで生まれた。ロシアは十月革命後の内戦期。そこに協調介入した日米英仏中などのシベリア干渉軍から政権を守りたいレーニンは、ある種の緩衝地帯としてシベリア全土を版図に収めた自由主義的な「極東共和国」の樹立を認めた。日本などもこれを承認したのでユル出生の3か月前にウラジオは極東共和国の一都市となった。だから彼の出生地はロシア帝国でもソ連でもない。

「出生時の国籍は?」と問われ、上記のような説明をするのは面倒だ。しかもゴシップ記者に、2年間しか存続しなかった極東共和国のことなどたぶん分からない。また、激化する一方の米ソ冷戦を受け、ハリウッドには赤狩りというトラウマもあった。それでユルはロシア人という出自を強調したくなかったらしい。

国籍を置く国自体が消滅すれば、レーニン政府の支配を拒否した白系ロシア人のように無国籍者になるしかなく、越境もままならない。にもかかわらず、ユルは幼少期、戦乱を避けて満州国建国前のハルビンに移り住み、やがて大連を経て上海へ、そしてパリに落ち着くことができた。生まれながらに永世中立国スイスの国籍を持っていたからだ。ユルがルーツを語る際、なぜかそれには触れなかった。よりミステリアスな経歴にみせたかったのかもしれない。

スイスには父権特権という制度がある。スイス人男性を父に持つ子孫は、出生地に関わらず、4代にわたりスイス国籍を保証される。ブリンナー家が持つスイス国籍の源流には、14歳で徒弟になるべくアルプスの山村をあとにした祖父ユリウスの存在があった。

ユリウスが東洋に初めて足跡を印したのは1840年代の上海。そうとは知らず海賊船に給仕係として乗り組んでしまい、飛び降りたのだ。同地で商業と貿易に目覚めた17歳は、やがて海運会社を興して長崎に定住を図る。あらかじめ日本語の学習をしていたというから勉強家だったようだ。長崎通詞(公式通訳)の娘と家庭を持ち二児をもうけた。

裕福な実業家となったユリウスは、まだ僻地中の僻地に過ぎないウラジオストクに新たな商機を求め、10年住んだ日本に結局戻ることはなかった。現地で結婚したのはシベリア商人の孫娘でブリヤート・モンゴル族の血を半分受けた女性だ。二人の間に生まれた三男がユルの父となるボリス。その妻でユルの母となるマルーシャはユダヤ系ロシア人であることから、ユルの体に流れる東洋の血筋は父方の祖母に由来するとわかる。 

ユリウスは、常にビジネス・パートナーに恵まれ、ウラジオとその郊外に鉱山を核とした一大コンツェルンを築いた。息子のボリスがサンクトペテルブルクの鉱山大学に進学したのは、父ユリウスの事業を継ぐためだったが、新妻マルーシャを連れてウラジオに戻ったころには、首都は革命の業火に焼かれ始めていた。

進行する内戦のなかで、ブリンナー家の事業を引き継いだボリスは反ボリシェヴィキの白軍に縋ったり、極東共和国政府の通産大臣を引き受けたりしながら、必死で家業を守ろうとした。赤い政府が外国からの投資を呼び込むため、例外的に一部ブルジョワを公認し事業継続を許そうとした際は、危険を承知で何度もモスクワに通い、時には秘密警察の総帥ジェルジンスキーと交渉した。スターリン全盛の1931年までウラジオに留まったことも、ハルビンへの脱出を成功させたのも奇跡的だった。

ロマの血を引くというのはユルの与太話だが、ロマの言葉を話せたのは確かだ。パリでサーカス芸人をやりながら自活の道を探っていたころ、ロマの一座と繋がり、その座長ファミリーの末っ子として遇されていたからだ。アヘンの常用者同士という縁で、詩人のジャン・コクトーと知り合ったのもパリだった。

本書の著者で、ユルの息子に生まれたロックの経歴も面白い。父の関係で子供時代からフランク・シナトラやサミーデイビス・ジュニアらの大人たちと親しんだ。子守をしてくれたマレーネ・デートリッヒのお手製ポテトスープの味をずっと覚えていた。長じてからのロックの経歴には、ローリング・ストーンズの機材運搬係、モハメド・アリのボディーガード、ザ・バンドの全米ツアー運転手、ロンドンに初出店したハードロックカフェのマネージャーなど、苦労の跡がある。親の七光りで生きてきた人ではなさそうだ。
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  • 掲載日:2026/05/08
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