あとがきによると1巻は「田舎もの」2巻は「都会もの」、3巻は「戦争もの」と「怪奇もの」と一応分類して掲載されています。でも結局舞台になる場所と内容や大まかな雰囲気で分けても どこかが被るのが当然なのでこの分類も結構無理があるみたいです。
多分この一冊(3巻)がうちの本棚にあったのは「二人の友」という有名な短編が姉の国語の教科書に載っていたことからきていて、(もちろん姉のことなので私の想像ではありますが)教科書に掲載された作品以外も読むことを先生が薦めたか、本人が読んでみたくなったのだと思います。作者にはもっと有名な作品も長編もあるけれど300以上もあるという短編の中でチョイスされた短編群はしっかり読み応えがありました。
怪奇ものは、不思議な現象に心が追い詰められていく過程が描かれ、それが妄想なのか狂気ゆえなのか、または論理的に考えれば説明がつくようにも綴られています。そういったあいまいさを残しているところは最近「ファンタジー」や「怪奇もの」にあまり心惹かれなくなった私のような読者にとってはとっつきやすくもありました。不可思議な現象より普通の人間心理の方が怖いということも感じます。
戦争を題材にした数編は作者の目線が独特で、描くのは戦時下でものんきに釣りをしたいごく普通の市民や、捕虜になってでも生き延びたい全然勇ましくない兵士だったり、一応見舞いに来たものの愛が冷めた軍人の恋人よりも 自分の方が何人もの敵に死病をうつしたことを誇る女性だったり、愛する家族を敵に殺されたことへの復讐を戦地ではないところではらす老人や母親。
そういう普通の人々の日々の暮らしを一変させるのが戦争で、人を殺めることなんて日常ではありえないような若者が戦地で「敵」を殺してしまうように、帰りを待つ家族たちにも「仇」を殺してもなおやりきれない気持ちを抱えさせるのだということを ごく短いページ数で描き切っているのです。
なかでも「二人の友」の主人公、時計屋と小間物屋の主人は釣り仲間で、戦争が始まる前は二人で頻繁に釣りに行き楽しんでいました。パリをプロイセン兵が包囲していることも知っていながら酒の勢いも加勢してついに二人は釣りに出かけます。
晴天の気持良い日、釣り糸を垂れながら話す戦争や政治のことはごく普通の市民としての気持ちです。
プロイセン兵を彼らは目にしたことは一度もなかったけれど、フランスを破壊し、略奪し、殺戮し、飢餓で苦しめる彼らがパリの周囲にいるのを感じています。見えない敵への怖れと緊張、それでも久々の友との釣りを楽しむ気持ちが彼らの会話に表現されます。
『ヴァレリヤンの丘は休みなくとどろき、砲弾でフランス人の家を破壊し、生命を粉砕し、存在を押しつぶし、多くの夢、多くの喜びへの期待、多くの幸福への希望に終止符を打ち、彼方、別の国々住む女たちの心、娘たちの心、母たちの心に終わることない苦しみを開いていた』という状況の記述や
『こんな風に殺しあうとはなんて愚かなんでしょう』『動物以下ですな』
『これが人生ですよ』『むしろ、これが死だと言うべきでしょう』という彼らの笑いながらの会話には心が苦しくなります。
結果二人はプロイセン兵に捕らえられスパイの嫌疑をかけられます。知るはずもないことを自白せよと迫られても二人の釣り人に何が言えるでしょう。
釣れた魚をどうするかというこの状況下でものパリっ子らしいジョークが、二人の悲惨な結末にこんな風につながっていくのを目にして、切実に戦争の怖さを感じました。
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