「やりなおし世界文学」で取り上げられている一冊。古典ミステリの著者として名高いクロフツのデビュー作である。
ロンドン在住のフランス人画家、レオン・フェリクスの許に樽が送られてくる。実はテムズ川のセント・キャサリンズ・ドックでその樽を運搬中に事故があり、中身の一部である金貨がこぼれてしまった。船会社の社員ブロートンと現場主任ハークネスが中を検めると女の腕が見えた。事件だと思いブロートンが上長に相談すると、警察に通報することになりバーンリー警部が登場する。しかし、その間にフェリクスが姿を見せ、荷馬車で樽を引き取ってしまう。樽の宛先は架空の住所だった。バーンリー警部はフェリクスの身元を洗うのに手間取ったが、運よく非番の巡査が、警察が手配した樽を運んだ荷馬車の特徴を覚えており、尾行してフェリクスの住所グレートノース通りのサン・マロ荘を突き止めた。樽の行方を巡ってはすったもんだがあったが、とうとう樽を警察が押さえ、フェリクス立ち合いで警視庁の中庭で開封することになった。フェリクスは樽の中身はフランスの友人と協同で買った富くじの当選金の分け前だと主張し、その友人ゴーティエの手紙まで見せる。ところが樽を開けると52ポンド10シリングの分け前と共に紙に包まれた女の死体が出てきた。紙を剥がして顔を見たフェリクスは「アネット」と叫ぶなり卒倒し、病院に担ぎこまれる。
バーンリー警部は樽の発送元のパリに出張し、旧知のパリ警視庁の刑事ルファルジュと協同で捜査をする。まずは死体の身元と樽の出処調査。樽は元々デュピエール商会が彫像を入れるのに使用していた特殊なものだった。確かにフェリクスからの発注書が商会にあった。だが商会の記録では樽はサウザンプトン経由でウォータールー駅に発送されている。その後の捜査で、ウォータールー駅にてフェリクスに似た外見の男が受け取ったことがわかった。しかも、その樽はチャリング・クロス駅からパリに一度返送されて、パリ北駅にて受領され、ここでもフェリクスに似た人物が出て来て荷馬車を雇い樽を運ばせている。次に樽が現れるのはパリの貨物駅で、その樽がテムズ川経由でロンドンに送られセント・キャサリンズ・ドックで死体の一部が発見されたのだった。
死体の身元は警察が出した広告によりラウール・ボワラックという工場主の妻アネットだとわかった。ボワラックは彫像の収集が趣味でデュピエール商会とも取引がある。そしてフェリクスもしばしばボワラックのところに出入りしていたことがわかる。その上、アネットとフェリクスは、20代の初めに画塾で恋仲だったこともわかった。
ゴーティエに富くじのことを訊くと、まだ当選は発表されていないという。フェリクスから押収した手紙を見せると、彼には書いた覚えはないものだった。英仏両国の警察は、フェリクス犯人説に傾きバーンリー警部は彼の家を徹底的に捜索した。
冒頭、樽がフェリクスも知らないうちに紛失するという逸話があるが、これは全体からすると小説を不要に長くするだけのものである。問題は樽をめぐる動きで、これは複雑怪奇。解き明かされた謎はすっきりしたものだが、ただでさえ400頁を超える小説なので冒頭にこの逸話を持って来るのは敷居を高くするだけのように思う。デビュー作ということでこういう欠点はやむなしか。しかし、樽をめぐる送話と、バーンリー警部、ルファルジュに次いで登場するラ・トゥーシュという私立探偵の捜査ぶりは地道ながら見事。誰が犯人なのか二転三転させたうえ、鉄壁に見えるアリバイ崩しはとても迫真的である。ペースの遅い小説の代表のように思えるが、バーンリー警部がパリに渡った辺りから興味深く読める。第三部にヘプンストールという勅撰弁護士が登場するが、これはクロフツの代表的探偵キャラクターであるフレンチ警部ものの
「クロイドン発12時30分」でも活躍する被告側の弁護士である。クロフツの作品は3作しか読んでいないので、何とも言えないがヘプンストール弁護士は、他の作品にも登場するのかもしれない。
本署は2013年に刊行された霜島義明氏の新訳である。巻末に有栖川有栖氏の解説があるが本書にある決定的なミスが記載されていて興味深い。長い小説で樽を巡る説が二転三転するので読み過ごしがちちであるが、解明されたトリックからすると驚くべきミスである。因みに、本書の解説はネタバレになっているので、読後に読むことをお勧めする。そんなミスがあっても古典として読み継がれているのは樽を巡るトリックが優れているからだろう。
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