訳者あとがきのハルキ風の言い回しになぞらえて始めるならば、
チャンドラーの『ロング・グッドバイ(長いお別れ)』を最初に読んだのは
社会人になったばかりの頃だった。
正確に覚えているわけではないのだが、
清水俊二訳のフィリップ・マーロウものを数冊買いそろえて、
その後十年以上は青い背表紙を本棚に並べていたはずだから、
いわゆる「タフガイ」(←この言葉も今はもう死語?)のマーロウのことも
チャンドラーの持って回った言い回しも結構気に入っていたんだと思う。
とはいえ今回再読するまで、タイトルを見ても全く内容が思い出せないでいた。
ただ思い浮かべることができたのはフィリップ・マーロウの名前と
有名な台詞
さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ
(清水俊二訳)。
ちなみにこの台詞、原文では
To say goodbye is to die a little
本書、村上春樹訳では
さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ
と訳されている。
そこから連想するのはこれまた昔好きだった
コール・ポーター(Cole Porter)の 「Everytime We Say Goodbye」(1944)
の甘い調べぐらいのものだった。
こんな歌詞だ。
Every time we say goodbye
I die a little
Every time we say goodbye
I wonder why a little
Why the gods above me
Who must be in the know
Think so little of me
They allow you to go
巻末に44頁にわたって展開されている訳者あとがきの中でも
このコール・ポーターの歌に触れられているのがなんだかすごく嬉しく、
更に元ネタかもしれないというフランスの詩人の詩まで紹介されていたのにも
お得感があったりした。
それはさておき、本筋のことだ。
私立探偵フィリップ・マーロウシリーズの6作目にあたる本作の冒頭で、
マーロウは一人の酔っ払い、
文無しの飲んだくれながらどこか品のある男テリー・レノックスを拾う。
テリーはその後、
別れた妻で大富豪の末娘シルヴィアとよりを戻し、
あり余る富に囲まれて暮らすようになったが、
なぜかいつもつかみ所がなく、暗い影を宿していた。
幾度か会って杯を重ねるうち、互いに友情を覚えはじめた頃、
突然やってきたテリーはマーロウに車でメキシコまで送って欲しいと頼むのだった。
訳ありとわかってはいたが何も訊かずに彼を送り届けたマーロウは
戻ったところで勾留されてしまう。
シルヴィアが惨殺され、
妻殺しの犯人とおぼしきレノックスが逃亡をはかり、
マーロウはそれを幇助した…と疑われたからだった。
事件が事件を呼び、
読者が真相にせまりそうになったかと思うたび、別の死体が現れ、
少しずつ新たな真実が浮き彫りになってきて……
読み進めるうちにだんだんと昔読んだ時の記憶が蘇ってきたものの、
マーロウの魅力を余すところなく引き出すためには必要かもしれないが
ストーリー運びには必要なのかどうかとしばし悩むような長い長い寄り道に、
シェイクスピアの『ハムレット』をはじめあれやこれやを引っ張り出して
「教養」をちりばめるような独特の言い回し、
これでもかと並べられる比喩表現に翻弄されながら、
最後まであきることなく楽しむことができた。
最もこれは訳者が言うように「準古典」、
比喩や言い回しの古めかしさは否めないし、
ジャンル的にはハードボイルドでもあるので
今どきの「社会常識」で考えるとあれこれと(どうなの?)と思う場面がなくはない。
それでも未だ昭和なところのある私にはなかなか楽しく懐かしい読書体験だった。
もちろんそれは村上春樹という作家が
先人達の影響を受けたということでもあるのだろうが、
フィッツジェラルドといい、チャンドラーといい、
ハルキ節がよく似合う。
そう思ったらたまらずに、かつて読んだ清水訳と読み比べもはじめてしまい、
さらには鴻巣友季子×片岡義男の『翻訳問答』を読み返したりもして…
ついにはクイズにしてしまったので、
よかったらこちら↓もどうぞ。
『長いお別れ』冒頭翻訳読み比べクイズ
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