本書には、8作が収められています。例によって、特に印象的なものを紹介します。()内は初出年です。
●『張込み』(1955年)
松本清張作品は数多く映画化されていますが、私が真っ先に思い出すのは、本作を同題で1958年に映画化したものです。監督・野村芳太郎、脚色・橋本忍という、後の『砂の器』(1974年)でも一緒に仕事をすることになるコンビの手になるもので、高校生の頃一度観ただけにもかかわらず、いくつかの場面は鮮明に覚えています。まずは、小説の内容を簡単に紹介します。
若い柚木刑事は、横浜から三等車で列車を乗り継ぎ、丸一日かけて九州のS市に一人でやってきます。逃走中の強盗殺人容疑者の石井が昔付き合っていた、さだ子という女性が結婚して、ここに住んでいたからでした。石井は肺病やみで、共犯者に「昔の女の夢をよく見る」今は「ひとの女房になって九州の方にいる、その住所も分かっている」と言っていたことから、石井の過去を調べたところ、さだ子が浮かび上がってきたのです。石井がさだ子のところにやって来るかどうかは、捜査本部でも意見が割れたのですが、柚木は現れる方を主張し、この出張の許可を得たのでした。
柚木は、さだ子の家を斜め前から臨める旅館の部屋を取ります。そこから、さだ子の家の日常生活を見ることができました。旅館でそれとなく聞いたところ、まだ20代のさだ子の夫は20年上で、先妻との間の3人の子供がおり、おまけにケチで、毎日出かける時に一日分の金をさだ子に渡して、出勤しているとのことでした。そんな男のところへ後妻に来たのは、やはり石井との関係が周囲に知られたからだろう、と柚木は推測するのでした。
そして、さだ子の日常は、決まりきったことの繰り返しでした。8時20分に夫が出勤、その前に3人の子供は学校へ、午前中2時間かけて家の掃除、10時に郵便屋、午後1時に二人の子供が帰宅、4時に買い物に出かけ、40分ぐらいで戻り、夕食の支度。6時に夫が帰宅。9時に雨戸を閉める。こういう日常を、少し疲れた顔をした、さだ子は淡々とこなしていきます。柚木は、石井は本当に来るのだろうかと思い始めます。しかし、張込みをはじめてから数日経ったある朝、チラシ配りをしているらしい男が、さだ子の家にチラシらしきものを置いていきました。すると、その直後、さだ子がいつもと違うスカートとセーターを着て、外に出てきます。時間は10時50分、買い物のはずがありません。
柚木は、慌てて彼女の後を追います。何度かまかれそうになりながらも、とある温泉町までついていきます。そこで、柚木が見たのは、今まで見てきたのは別人のように生き生きした表情の、石井と一緒にいるさだ子でした。
さて、映画の方は、小説の設定にいくつか変更を加えています。まず、柚木刑事(大木実)のコンビとしてベテランの下岡刑事(宮口精二)を配しています。これは、一人では張込み中の間が持たないので、二人に会話をさせるためでしょう。小説ですと心理描写ができるのですが、映画では「見せる」「聞かせる」が必要になるからです。それと、やはり、さだ子を演じた高峰秀子が素晴らしいです。日常生活のさだ子と、石井と一緒にいる時の彼女の表情及び雰囲気の差の表現は、「見せる」という映画の武器を最大限に活かしたものです。そして実は、柚木には肉体関係もあり結婚するべきか否か悩んでいる女性がいたのですが、そういうさだ子の姿を見て、結婚しようと決心するのでした。
さて、「覗き」というのは、他人の生活を見るという意味において、そもそも映画の本質ではないかと私は思っています。これを主要モチーフにした映画としては、ヒッチコックの『裏窓』(1954年)があまりにも有名です。原作はコーネル・ウールリッチですが、足を骨折して自室から出られないカメラマンが、退屈まぎれに裏庭の向かい側にあるアパートを覗いているうちに、ある夫婦の異変に気づくというものです。この映画は、19955年1月に日本公開されていますので、本作の初出が『小説新潮』12月号であることを考えると、もし松本清張がこの映画を観ていたのであれば、その影響を受けていたと言って構わないでしょう。ただ、清張自身は次のように語っています。
「『張込み』も推理小説として構想したのではない。人間の心理に重点を置いて、そこから起る『事件』を主題にした。その意味で、これは推理小説でもなければ、犯罪小説でもない。いわゆるサスペンスの範疇にも入らない。そこにはドキドキするような場面やアクションは少しもないからである」
それでも、映画の方は、絶対『裏窓』を意識していたと、私は思います。実際、映像にすると、石井ははたして現れるのか、さだ子が服を着かえたのは石井に会うためなのか、はたまた、柚木がまかれそうになる場面等は、立派なサスペンスになってしまっています。なお、原作と映画は、そもそも表現媒体が違いますし、どちらが良い悪いと議論するのは意味がないと、私は思っています。表現媒体の違いによる受ける印象の差という点では、本作は面白い例だと思います。
●『腹中の敵』(1955年)
豊臣秀吉(1537-1598)が木下藤吉郎より羽柴秀吉に改名する際、羽は丹羽長秀(1535-1585)から、柴は柴田勝家(1522~30-1583)から取ったと言われています。後者は、秀吉と直接対決したこともあって、世間一般にもそれなりに名も知られていますが、丹羽長秀の方はそうではないようです。
本作は、丹羽長秀の視点で語られていますが、勝家同様、年下の秀吉の台頭を内心では快く思っていなかったものの、秀吉とはっきり敵対した勝家と違い、虫が好かない秀吉に擦り寄る道を選んだ、複雑な心境を描いています。それだけ、人と時の流れを読む力はあったのでしょうが、それは自分の望んだものではなかったのです。そして、文字通り、腹中の敵を自ら取りだす死を選ぶのです。
●『菊枕』(1953年)
九州の女性俳人・杉田久女(1890-1946)を題材にした小説です。彼女について、清張は本書あとがきで、次のように述べています。
「この天才的な俳人は、実は小倉中学の絵画教師の妻だった。彼女は、虚子や、その周辺の巨大なグループに接してからは、その境遇にひどく劣等感を持ち、家庭はかならずしもあたたかではなかった。その性格の強さは虚子を偶像化し、その周辺に向かっては限りない敵意を燃やした」
なお、作中では久女は「ぬい」、虚子は「梅堂」となっていますし、実話をベースにしてはありますが、ノンフィクションではなく、あくまでもフィクションとして読むべき作品でしょう。なお題名は、陶淵明の詩文の中にある大量の干した菊の花を詰めた枕のことで、これを用いると長寿となると言われ、それを信じた久女は長い時間をかけて、それを作り虚子に献上したことが語られています。
ただ、久女が同性の俳人へのライバル意識が強く、己の才能には自信があって、それが俳界で認められないことには耐えがたかったというのは、かなり真実に近いと思います。それゆえ、絵画教師に甘んじて、それ以上の野心を持っていない夫との仲もうまくいっていなかったようです。それは、次の句からも分かります。
「足袋つぐやノラともならず教師妻」
ノラとは、もちろんイプセンの『人形の家』のヒロインのことです。
久女は1944年に夫が精神病院(Wikipediaによると福岡県立筑紫保養院)に入院させ、そこで死を迎えました。本作は、次のように終わります。
「看護日誌を見ると、連日『独言独笑』の記入がある。彼女をよろこばすどのような幻聴があったのだろうか」
●『断碑』(1954年)
考古学者・森本六爾(1903-1936)をモデルにした小説です。作中では木村卓治となっています。考古学界関係者とは直接関係ないアマチュアながら、「考古学の鬼」とまで異名を取った人物です。しかし、考古学者らしい学歴のなさから、考古学界の権威者とは対立し、理解者であった妻ともども夭折しました。
●『石の花』(1955年)
これも、明石人の発見で知られる考古学者・直良信夫(1902-1985)をモデルにしたフィクションです。作中では、己(おれ)の一人称の語り手・黒津となっています。明石の海岸で、偶然発見した古代の人骨から、それまでの学説を覆す旧石器文化説を唱え、考古学界のアカデミズムと権威者にさんざん嘲笑された生涯を語っています。
●『父系の指』(1955年)
本書あとがきで、清張は次のように述べています。
「これまでの作品の中で自伝的なものの、もっとも濃い小説である。私は自分のことをナマには語りたくなかった。いわゆる私小説というものには私は不適切であり、また小説は自分をナマの形では出すべきでないという考えを持っていた。この小説でも全体の半分ぐらいは事実だが、半分は虚構である」
清張が赤貧の家庭で生まれ育ったことは、よく知られています。それが、どんなものだったのかは、本作からその実態をうかがうことができます。
さて、『菊枕』から本作までは、一種の連作短編と見てもいいと思います。繰り返しになりますが、威張り散らす権力者や権威者、学歴による差別、搾取者の被搾取者への軽蔑、持てる者と持たざる者の差等、これらをフィクションとは言え、自身を含め実在の人物をモデルに語った作品ばかりだからです。そういう意味では、松本清張の本質を理解するには、この4作は必読だと思います。ただし、収録作で個人的に一番好きなのは『張込み』です。
残りの作品は、題名と初出年だけ紹介しておきます。
・『五十四万石の嘘』(1956年)
・『佐渡流人行』(1957年)
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