著者の小説を読むのは3冊目です。
「鴨川ランナー」、
「開墾地」と続いて、本作が最新作だ。
表題作「トラジェクトリー」の主人公のブランドンは米国南部のテネシー州の出身で、地元の州立大学を出てから英会話学校の教員として日本にやってくる。日本語はできない。職場は名古屋の住宅街の商業施設にあり、顧客層は幼児から仕事を引退したシニアまで幅広い。
上司でマネージャーのダイスケは40代で、英会話業界の将来についてのビジョンを主人公に語る。これまでの英会話教室は趣味で英語を習いたい生徒が顧客だったが、これからはグローバリズムに対応した英語ができる若い人材を世に送り出す使命があるのだと彼は言う。
ブランドンが日本語を学びたいとダイスケにいうと、彼はそんな努力は時間の無駄だから、むしろ街で出会った日本人に英語で話しかけて、日本人にガイアツ(外圧)をかけて英語を学ぶように仕向けてくれという。
ダイスケの認識は新しそうでいて、グローバル=英語=米国という昔ながらの認識だが、世界は実際には細かく分裂しつつあり、米国の覇権は危うい。主人公の年長の同僚が言うには、以前は日本人にとって米国は憧れだったが、今では落ちぶれつつある帝国に憧れるものなどいないという。
ブランドンのグループ授業のメンバーで最年長のカワムラさんは、引退した元技術者らしく、授業でも科学技術関係の話題しか受け入れない。さらに彼はブランドンとの個人レッスンを申し込んだが、そこではアポロ11号の月面着陸までの交信記録を延々と読み合わせるのだった。カワムラさんは若い頃にアポロ11号の月面着陸のTV中継を生で見ていて、月面着陸を成功させた米国は偉大だという。彼は英会話の上達になど興味がなさそうだった。アポロ計画は今でも彼の憧れだった。(彼は昔の日本人の典型例なのかな。)
それから10年後のブランドンは大阪にいて、英語教育とは無縁の仕事についている。早朝に地元に残っている妹から電話があり、議事堂への暴徒の襲撃事件を知る。米国ではそれまでも銃乱射事件や戦争のニュースが日常茶飯事で感覚が麻痺してしまっている。
ブランドンは久しぶりに英語教室時代の荷物を取り出し、カワムラさんが英語で書いた日記を読み返した。カワムラさんは突然教室に来なくなり、彼の宿題のノートを返しそびれたのだった。ノートには幼い頃の父との思い出や、父が亡くなってすぐに望遠鏡を買った話が書いてあった。
「子供の頃、父に望遠鏡をねだったが、父は都会では空が明るくて星は見えないと買ってはくれなかった。自分で買った望遠鏡を夜空に向けたが、父が言ったように視界は霞んだまま星は見えなかった。涙を拭った。」
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