おふとんの外は危険 (竹書房文庫)【Kindle】

韓国人作家のSF短編集。
読んでいる間はもちろん本を閉じている時にもあれこれと考えさせられる物語
一八八一年六月一七日水曜日、ある列車が、A駅を午後三時に出発してB駅に午後十一時に到着する予定でしたが、出発直前になって、午後七時までにB駅に到着せよと指示がありました。より長く愛するのはだれでしょう、男でしょうか、それとも女でしょうか。いくら考えても「正解」を導き出すことが出来ない問い。
わたしはこういったことを理解しようと、解決しようと、一篇の小説を書いた。それを書いているあいだ、書くという行為は知り得ないものを知ろうとする方法だと思っていた。書き終えてみると、自分がなにひとつ理解していないことがわかった。
わたしはこれを書きながら、記憶することとは証言するという行為であると同時に創り出すという行為であり、どちらか一方がなければ、それは幹のない木、鳥のない羽、内容のない本であることに思い至る。とも。
レベッカ・ウェストと接吻しなければH・G・ウェルズはスイスへ逃げてあらゆるものが燃え尽きる本を書くことはなく、H・G・ウェルズのその本が存在しなければレオ・シラードは原子核の分裂連鎖反応を思いつくことはなく、原子核の分裂連鎖反応を思いつかなければ彼は恐怖を募らせることはなく、恐怖を募らせることがなければレオ・シラードはルーズベルトに働きかけてくれとアインシュタインを説得することはなく、アインシュタインがルーズベルトに働きかけなければマンハッタン計画はなく、マンハッタン計画がなければ一九四五年八月六日午前八時十五分にトーマス・フィアビーが広島上空九千五百メートルで自動装置のスイッチを押すことはなく、広島に原爆は投下されず、長崎に原爆は投下されず、十万あるいは十六万あるいは二十万の人々は生き、わたしの父は命を落とす。詩はなにも引き起こさないかもしれないが、一篇の小説は広島を壊滅させ、広島の壊滅がなければわたしは存在せず、これらの言葉は自ずと消え、それらとともにわたしも消えるのだ。こんな話だ。
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