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読んでいる間はもちろん本を閉じている時にもあれこれと考えさせられる物語

第七問
正直なところ、本書を手にすることをためらわなかったと言ったら嘘になる。
その理由をあげるなら、SFに苦手意識をもつ私はこれまでH・G・ウェルズの作品をまともに読んだことがないからであり、大戦中日本軍の捕虜になり過酷な体験をした父を持つ作家が「ヒロシマ」をどう描くのかがどうにも気がかりだったからであり、「泰緬鉄道」から生還した父親の捕虜経験を題材に十二年の歳月をかけて書き上げたのだという前作『奥のほそ道』があまりにもすごい本だったからでもあった。

それでも、やはり読んでおかなければ…と意を決してページをめくれば、そこには戦争や核開発に留まらず、タスマニアの歴史やオックスフォードに蔓延るあれこや、作家であること、小説を書くことの意味など、様々なことが内包されていて、多くの人が息づく物語があった。

チェーホフの最初期の短篇の一つに、学童に出す暗算の問題のパロディがあって、本作のタイトル『第七問』はそこからとられているのだという。
その問いはこういうものだ。
 一八八一年六月一七日水曜日、ある列車が、A駅を午後三時に出発してB駅に午後十一時に到着する予定でしたが、出発直前になって、午後七時までにB駅に到着せよと指示がありました。より長く愛するのはだれでしょう、男でしょうか、それとも女でしょうか。
いくら考えても「正解」を導き出すことが出来ない問い。
作家はその作品の中で、登場人物達に、読者に、そしておそらくは自分自身にも問いかけ続ける。

あなたか、わたしか、戦争で捕虜となり強制労働に従事していた者か、核兵器開発に携わった者たちか、広島の住民か、それとも……。

作家は言う。
わたしはこういったことを理解しようと、解決しようと、一篇の小説を書いた。それを書いているあいだ、書くという行為は知り得ないものを知ろうとする方法だと思っていた。書き終えてみると、自分がなにひとつ理解していないことがわかった。

そしてまた
わたしはこれを書きながら、記憶することとは証言するという行為であると同時に創り出すという行為であり、どちらか一方がなければ、それは幹のない木、鳥のない羽、内容のない本であることに思い至る。
とも。

どんな話なのか説明するために少し長いが本篇から一節を引いてみよう。
 レベッカ・ウェストと接吻しなければH・G・ウェルズはスイスへ逃げてあらゆるものが燃え尽きる本を書くことはなく、H・G・ウェルズのその本が存在しなければレオ・シラードは原子核の分裂連鎖反応を思いつくことはなく、原子核の分裂連鎖反応を思いつかなければ彼は恐怖を募らせることはなく、恐怖を募らせることがなければレオ・シラードはルーズベルトに働きかけてくれとアインシュタインを説得することはなく、アインシュタインがルーズベルトに働きかけなければマンハッタン計画はなく、マンハッタン計画がなければ一九四五年八月六日午前八時十五分にトーマス・フィアビーが広島上空九千五百メートルで自動装置のスイッチを押すことはなく、広島に原爆は投下されず、長崎に原爆は投下されず、十万あるいは十六万あるいは二十万の人々は生き、わたしの父は命を落とす。詩はなにも引き起こさないかもしれないが、一篇の小説は広島を壊滅させ、広島の壊滅がなければわたしは存在せず、これらの言葉は自ずと消え、それらとともにわたしも消えるのだ。
こんな話だ。
だがそれだけでもない。

読み通すまで時間を要する物語だった。
読んでいる間はもちろん本を閉じている時にもあれこれと考えさせられる物語だった。
ようやく読み終えたとき、自分がなにひとつ理解していないことがわかる、そんな本だった。
最後のページをめくってもなお、読み終えることができたという気がしない「余韻」が残る作品だった。
とにもかくにもすごい本だった。
  • 掲載日:2025/10/27
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