674 中島京子 「水は動かず芹の中」
河童をモデルにした「水神夜話」というお話を、物語の中で聴くことになるメタフィクション。
新潮のPR誌「波」の新刊リストで引っ掛かってきた。
スランプに陥った作家が、佐賀県の唐津へ旅行する。
作家は山里の陶芸工房へ体験で行き、主のサワタローと妻のナミエにもてなされ泊まり、その後も何度も訪れる。
サワタローは四百年以上前に朝鮮から来た、陶工の娘が焼いたという『ウンビの茶碗』と、
水神一族のお話『水神夜話』を作家に夜な夜な語っていく。
水神とは河童のこと。
ここでの河童は、戦のために故郷を奪われて、異国からやって来た 『境界の人』という。
まるで難民のようで、面白い設定だ。
「水神夜話」は豊臣秀吉の朝鮮出兵が背景として重くのしかかっている。
「ウンビの茶碗」が震えることによって、この戦の兆しを知った河童たちは、なんとか秀吉の侵攻を止めようとするが、、、
暗い出来事も少なくないが、迫害されても争いを好まず、のほほんとしている河童たちが眩しく見える。
小西行長が秀吉につく『嘘』も『方便』も、河童たちにはそもそも概念が無く、
「何のためにそんな事をするのだろう?」と不思議がっている。
(後に少しずつ理解していく)
登場人物たちも、
猿(豊臣秀吉)、ととやアグスチノ(小西行長)、虎之助(加藤清正)、東海道の狸(徳川家康)、シーマンズ(島津義久)、茶人(千利休)などとうつつ離れしている。
強いメッセージやテーマは伝わってこず、
どよんとした読後感だったが、
ある人が解説の中で「題名は芥川龍之介の俳句から取ったと思われる」とあって、調べていたら何だか合点した。
芥川の句は、
『薄曇る水動かずよ芹の中』
この句は芹を読んでいるものではなく、動かない水を我が屈折した心に置き換えているのだと言う。
な~るほど。
『水は動かず芹の中』も、『動かない水』が主人公なのだろう。
動かない水を「閉塞感」「澱み」といったものに読み替えてみたら良い。
強い権力を握った秀吉のような者は、必ずしも独裁者ではなく、一国の政府かもしれない。
その権力者を取り巻く者たちは「嘘」と「方便』を体よく使い続けている。
市井の人たちは、権力側が決めた事(戦)に従わざるをえず、
その後ろに控える河童たちへも、戦の被害は拡大していく、、、
こんなカラクリは、過去にあったり、近くで今起こっていたり、
将来起こりそうなことかもしれない。
世が変わろうとも、何も変わっておらず、良くなってはいない。
なんてこった、、、
ずっと長いこと、水は芹の中で澱んだままなんだ、、、
中島京子のそんなため息が、聞こえた感じがした。
でも、救いもありそう。
河童のカイは、皿に髪が生え始め、水かきが無くなっていき、皮膚は黄色になり、
「どうも、おれはヒトになったようです」という。
サワタローとナミエの事を、作家は「実は河童の末裔ではないか」と少し疑っているのだが、
ある日に、
「関心があった、朝鮮の白磁を勉強するために、ふたりで韓国に住み始めました」
と書かかれた葉書が作家のもとへ届く。
だが、その葉書には肝心の韓国の住所が書かれていない。
ヒトにも河童にも、どうやら『(新しい)明日』がありそうだ。
(2025/11/14)
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