私事ですが、昔ロンドンで働いていた時期があり、その当時はよくパリに出かけたものでした。ロンドンのオフィスからパリの凱旋門まで3時間で行けたのですから、その気軽さが分かってもらえると思います。パリに行くと、絶対に見に行く美術品が二つあって、一つはルーヴル美術館にある『サモトラケのニケ』、もう一つがオランジュリー美術館にあるモネの『睡蓮』です。美術品や建築物は、当たり前ですが、実物に接しないと、とても鑑賞したとは言えないので、何回も足を運んだものでした。2011年刊の本書は、モネの作品、なかんずく『睡蓮』が重要なモチーフということもあって、モネやその絵に関する記述が多々あり、本筋よりも興味深かったくらいです。
例えば、登場人物の一人が、こんな発言をします。
「専門家の調査によると、モネが描いた『睡蓮』は、少なくとも272枚あると言われているんですよ」
そうなんですね。モネがたくさんの『睡蓮』を描いていたのは知っていましたが、そんなに描いていたとは驚きました。この人物は、こんな発言もします。
「モネが自分の絵から排除し、決して使おうとしなかった色。それは色の不在であると同時に、すべての色を混ぜ合わせた色でもあるのです」
何色だかお分かりになりますか?そう、ココ・シャネルの愛した色、黒です。本書の題名は、ここから、つまりモネが描かなかったはずの黒の『睡蓮』から来ています。
また別の登場人物が、こんな発言をします。
「ロートレックは印象派を、野蛮人呼ばわりしていましたからね。クロード・モネのことなんか、馬鹿扱いです。(中略)せっかくの豊かな才能を、人間でなく風景を描くことに浪費しているからって」
へぇ~、そうなんだ、という感じですが、ロートレックがそう思うのは、理解はできます。
というわけで、モネに関するトリビア満載の本ですから、モネの絵が好きな方なら、この部分だけでも満足できると思います。
さて、2010年刊の本書ですが、モネが晩年を過ごしたノルマンディー地方の小さな村ジヴェルニーで起った連続殺人事件を題材としたミステリーです。本書は、ジヴェルニー村に住んでいる老女の一人称の語りからスタートします。
「ある村に、三人の女がいた。
ひとり目は意地悪で、二人目は嘘つき、三人目はエゴイストだった」
そして、このひとり目が「私」なのです。ですが、この女性の正体は最後まで明かされません。彼女は断言します。
「この一連の事件に、偶然の一致はひとつも存在しない。この事件では、何も偶然にまかされてはいないのだ。むしろ、すべてが結びついている。ひとつひとつの要素が、しかるべき場所、しかるべき時に収まっているのだ。犯罪の歯車は、すべてきちんとかみ合っている」
ただ、事件そのものや捜査は、彼女の一人称ではなく、三人称で語られています。つまり、物語は一人称と三人称が混在しながら進みます。そして、ラストでは彼女の言った通りであることが分かるのです。
さて、本書のトリックに触れずに内容を説明するのは、ちょっと難しいので、これぐらいにしておきます。何も語っていないと思われるかもしれませんが、私としては、これでも説明しているつもりなのです。トリックの本質的な部分の発想は、フレッド・カサックの傑作『殺人交差点』(1959年)と類似しているとだけ、言っておきましょう。結構驚かされるラストではありますが、フェアかどうかという点では、もしそれを問題にするならばですが、微妙なところではあります。ただ、ヒントらしきものは、作中で話題になる文学作品にあります。私も読んでいる最中にちょっと気になったのですが、その意味に気づかず、読み終ってから、なるほどと思いました。
なお、訳者あとがきの最後には、もろネタバレが書いてありますから、読み終える前には覗かないことをお勧めします。
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