『長距離ランナーの孤独』は、偽善的な権力者に対抗するアナーキックな若者の話。
スミスは、友人と二人でパン屋に忍び込み強盗を働いた罪で感化院に入れられている。本文は、感化院を代表してクロスカントリーの選手として走ることになったスミスが、練習中や本番で走りながら考えるさまざまなことを基調としている。
スミスは、練習のために早朝から走る。
走りながら、いろいろなことが彼の頭の中に浮かんでは消える。
いろんなことを考えながら、ただ黙々と彼は走る。
スミスは、感化院の院長が「誠実であれ」といったことについて考える。
院長のような人間にわかりっこないのは、おれは今だって誠実だということだ。これまでだって誠実以外の何ものでもなかったし、これからだってそうだということだ。…おれはおれの考えている誠実がこの世の唯一のものだと思っているし、同様に奴(院長)も、奴の考えているのがこの世で唯一のものだと思っていやがる。
そうやって、スミスは、感化院の院長の「誠実にやりたまえ」という言葉の裏にある偽善をかぎつけている。院長は、実は、全英長距離クロスカントリー競技ボースタル・ブルーリボン賞杯がほしいだけなのだ、と。
スミスは、そんな院長の期待に反抗し、トップで独走していながら、競技場に戻ってきたところでスピードを落とし、わざと後から来たランナーに追い抜かれる。そういった形で、彼は権威に対し必死で抵抗してみせる。
スミスは、走ることが嫌いなわけではない。 走っているときは孤独だが、
「この孤独感こそ世の中で唯一の誠実さであり現実であり、決して変わることのないという実感」だと考えている。彼の目に映る世の中があまりにも偽善にあふれているから、彼は、変わることのない真実を求めて憤り続けるしかないのだ。
同じ本に収められている『アーネストおじさん』『漁夫の絵』は、『長距離ランナーの孤独』とは違うタッチの、孤独な中年の男性を主人公とした作品で、優しさにあふれた悲哀が心に深く残る。
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