『勿忘草の咲く町で ~安曇野診療記~』は、信州・安曇野の小さな病院を舞台に、看護師と研修医が「高齢者医療の現実」と向き合い、成長していく物語です。
全4話のエピソードにはそれぞれ「花の名前」が冠され、多角的な視点から医療現場の光と影を描き出しています。
■「秋海棠(しゅうかいどう)の咲く頃に」
末期の膵がんで妻子を遺して亡くなる患者の看取り。その一方で、誤嚥性肺炎で入院しながらも「生大根の子糠漬けなら食べられる」と願う88歳の患者。主人公が彼女のために沢庵を刻む姿を通し、「死にゆく人」と「生きようとする人」が対比的に描かれます。
死は理不尽で平等に訪れるという現実を突きつけつつも、「食べたい」という欲求こそが生きる力そのものであることを教えてくれるエピソードです。
■「ダリア・ダイアリー」
循環器内科での研修中、主人公は肺炎で緊急搬送された92歳の女性に対し、あえて「3時間の延命処置」を施します。それは、延命に懐疑的な先輩医師の教えに反するものでしたが、遠方の孫が駆けつけるために必要な時間でした。
「医学的正しさ」と「人としての正しさ」は必ずしも一致しないという医療の難しさが描かれています。
また、90代の老人の手術のため希少血液(Rh-AB型)の在庫が無くなり、20代の妊婦の緊急オペが不能となり母子(自分の妻子を暗示)ともに救えなかった先輩医師の過去を通して、延命治療の真の意味を深く問いかけます。
■「山茶花(さざんか)の咲く道」
高齢患者の死をきっかけに、遺族から「医療ミスではないか」との疑念を向けられる病院側。説明責任を果たそうとする医療者と、割り切れない想いを抱える遺族。正論だけでは埋められない心の痛みを通し、医療者が背負う「説明責任」と、遺族に「寄り添う責任」を両立させる難しさが浮き彫りになります。
■「カタクリ賛歌」
意識のない95歳の患者に対し、多忙を理由に見舞いにも来ない家族が「胃瘻(いろう)を含め、できることは全てしてほしい」と要求します。家族とのやり取りを通し、著者は延命技術が必ずしも幸福に繋がるのかという是非や、「生きること」と「生かされること」の違いを読者の心に静かに語りかけます。
■ 総評
本作には、高齢者医療の現実や看取りのあり方など、綺麗事では済まされない現場の厳しさが凝縮されています。その過酷な環境下で、主人公二人が患者や家族の想いに触れ、「生きるとは何か」「死をどう受け止めるか」という問いに真摯に向き合い続ける姿が印象的です。
重いテーマを扱いながらも、読後に清々しさが残るのは、安曇野の豊かな自然や花々が物語を温かく彩り、葛藤しながら歩みを進める若き医療者たちの姿が爽やかだからでしょう。
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