『故郷』はイタリア人作家・詩人のチェーザレ・パヴェーゼの長編第二作にして処女出版小説です。なぜ第二作の本作が処女出版となったのか? それは、これと同時期に
『流刑』・
『美しい夏』が書かれたのですが、書かれた時代がファシズム政権下だったからです。1936年に始まったスペイン内戦はヨーロッパ全土を巻き込み、ファシズムと反ファシズムの代理戦争の様相を呈しました。イタリアはファシズム政権を支持したため、それに反したパヴェーゼらは体制の弾圧を受け、投獄されたりしながらも、イタリア文学に新潮流を起こすことに力を注いだのだそうです。『故郷』を検索すると必ず出てくる紹介文の、
当時のすべての知識人にとって、おそらく最も深刻な事件はスペイン戦争だっただろう。
『故郷』河島英昭 訳/岩波文庫 紹介文より
というのはそういう意味です。
ちなみに辻邦生さんの100の連作短編
『ある生涯の七つの場所』でも、幾つかの作品はスペイン戦争が下敷になっています。
1.あらすじ
本作は、自動車修理工(または機械工)の<ぼく(ベルト)>が刑務所で同室だったタリーノとともに出所してきたところから始まります。ちなみにパヴェーゼ自身が逮捕されたのは政権による弾圧が理由だったため、本作でも<ぼく>は無実の罪で拘留されていたことになっています。それに対し、タリーノは自身の村で農場に放火した嫌疑をかけられて捕まっていたのでした。<ぼく>はタリーノと行動を共にするつもりはなかったのだけれど、おそらく仕事を得るために、仕方なく誘われるままタリーノについて彼の生まれ故郷の農村へ行きます。(しかし、タリーノにはある思惑があって、<ぼく>を出しに使ったのかもしれません。)
<ぼく>は収穫した小麦の脱穀機を操作するという仕事のために、タリーノの父、ヴィンヴェッラに交渉して雇ってもらいます。タリーノには妹たちがいて、中でも一番綺麗なジゼッラと、<ぼく>はすぐに仲良くなり、そういう関係になります。季節は夏で、照りつける陽光の下、北部イタリアの農場の生活が丁寧に描かれます。
ぼくは外へ出てタバコに火をつける、女たちが左右から桶をささえて家畜の水を運んでくる。若いほうは裸足だった。しかしタリーノより色が黒く、さらにがっしりした体つきをしている。ふたりの女は互いに片手で桶をささえ、重量を感じないかのように背を曲げて走った、そして女たちがよくするように、わけもなく笑い声をたてた。年上のほうが立ち止まり、相手を止まらせながら、タリーノに言う、「姉さんに手を貸しておくれ」
『故郷』河島英昭 訳/岩波文庫 より
村人は日曜には揃って教会へ行くけれど、風紀は乱れています。タリーノとジゼッラの間にも以前何かあったようで、<ぼく>はジゼッラと結婚してヴィンヴェッラの娘婿になるのもいい、とまで考え始めていたのだけれど、結局 タリーノとジゼッラの関係が最後に悲劇を招いてしまうのです。そしてこれは、<ぼく>が農園を訪れてからたった3、4日の出来事なのでした。
2.あたかも古い洋画を見ているように
ストーリーは終始<ぼく>のモノローグで進みます。昼間、太陽に照らし出される山側の夏のイタリアの景色、夜、広い農地を渡ってくる風、蟋蟀(こうろぎ)の鳴き声、犬の遠吠え、そうしたものと一緒にある家族の会話。それらすべてが、いつかどこかで見たことのある昔の洋画のようで、読んでいると気持ちをしんと鎮めてくれるかのようです。そう、決して読者を興奮させたり胸を高鳴らせたりするわけではなく、時折自分の思いを交えながら、<ぼく>は見たものを淡々と語ってゆくばかり。でもそれが返って優しい読後感を生んでいるのです(ただ、それはエンディングのために、決して心地よいとか爽やかとかいった気分にはなりません。なので、全体として「優しい」という言葉がぴったりくる気がするのです)。
訳者の河島英昭氏は解説で、本作が好評を得た理由を次のように語っておられます。
出版と同時に、パヴェーゼの『故郷』は大いに世評を集めた。その理由は、何よりも、斬新な文体にあった。
『故郷』河島英昭 訳/岩波文庫 解説より
そしてその文体とは、「主人公の《内的独白(モノローグ)》」であり、「ビエモンテ地方の土にまみれた言葉」だと、パンクラティとチェッキという二人の批評家が指摘している、とおっしゃっています。
日本語訳では、そういったイタリアの土俗の言葉がどういったものかは全くわかりません。けれど、それをできる限り伝えようと、河島氏が苦労されたであろうことはわかります。そしてそれは(原文で読んだことはないにせよ)多分成功していると、本作から受ける感じから僕にはおもえるのです。
3.タイトル「故郷」とは
これも河島氏の言ですが、原語ではタイトルは単にふるさとを意味する「故郷」のことではなく、
<あなたの>「故郷」、<おまえの>「故郷」、<きみの>「故郷」、それらの総和
ということになるのだそうです。まとめて言うと、
<あなたの>「故郷たち」
ということになるのだそうだけれど、それはやはり、ファシズム体制下で生まれたところの、独裁的に全的にまとめられた世界ではなく、「誰しもに(一人の人間の内にも)、あの故郷、この故郷といった、別々の、それぞれに異なる故郷がある」という意味があったのではないでしょうか? 本作そのものに反体制的なことが書かれているわけではないけれど、片田舎の農村の生活を丹念に描き出すことで、パヴェーゼは自由を謳いたかったのかもしれない、僕はそうおもいました。
ちなみに、本作中、たった一度だけ「故郷」について語る場面があります。それはジゼッラとそうなった後のことで、大好きな場面です。
「ジゼッラ、きみの気持ちは変らないね?」ぼくは小さな声で彼女に言う。
「でも、あなたは、いつかトリーノに帰ってしまうわね」と、彼女は言った。「ここは、あなたの故郷ではないのですもの」
「きれいな娘がいれば、どこでもぼくの故郷だよ、安心していな」そう言うと、彼女はいかにも幸せそうだった。
『故郷』河島英昭 訳/岩波文庫 より
あるいはこちらが真の意味だったのかもしれませんね。
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