江戸時代の享保14年(1729年)にベトナム(当時の広南国)から幕府へ献上品として贈られた象が、長崎に上陸した後、江戸(東京)へ向かう途中で、「長崎街道の飯塚宿から木屋瀬宿へ向かう道中としてわが故郷の小竹町を通り抜けた」と古い昔話に、史実として今に語り継がれています。
さてこのポルトガル語圏初のノーベル文学賞作家のジョゼ・サラマーゴの晩年のこの作品もそのタイトルどおり象の旅の物語で、史実を下敷きにしたサラマーゴ的マジック・リアリズム小説です。
ポルトガル国王ジョアン3世は従弟のオーストリア大公マクシミリアンにインドから来た象を贈ることに決めた。象の背中に乗る象遣いをはじめ多くのスタッフによって食料係、水樽を運ぶ荷車、警備の騎兵隊などで構成された一行がリスボンを出発した。最初の目的地はマクシミリアン大公が滞在するスペインのバリャドリードで大公と合流し、次にオーストリアの騎兵隊に引き継がれてウィーンを目指した。
象遣いの名がスブッロからフリッツに、象の名がソロモンからスレイマンに変わり、名付けというものがいかに世界=国家に調和することに於いて重要であるかが皮肉をまじえて語られる。
象は一日に二百リットルの水を飲み、百五十キロの飼葉を食べ、体重は四トンである。
隊長は、《兵隊や従者が豚の皮の揚げ物のようにならないように、もう少し日陰のあるところを探さねばならなかった。》とあるように過酷な道行きをユーモアの比喩にのせて表現する。象をローサスの海から船に乗せて嵐に遭遇したり、冬のアルプス越えの苛酷な旅程を喜劇的な珍道中のうちに描写しながらも常に「聖書」を引用しながら人間が生まれてから死を引きうける宿命を厳粛に哀愁を込めて物語る。
「象は、大勢に拍手され、見物され、あっという間に忘れられるんです。それが人生というものです、喝采と忘却です」と言うように……。
心に響いた文章を以下に引用します。
●各自、自己責任でできることをして対処せよと伝えてくれ。(中略)
「隊長は、自己責任という万国共通の万能語に頼ることにした。これを口にする者は、人としても社会の一員としても、いかに自分が厚顔な偽善者であるかを示している、貧者に施しを請われて否と断った舌の根も乾かぬうちに、あなたも自分の力でがんばりなさいと言うようなものだ」
●人間の魂をもっとも的確かつ正確に表象するのは、迷路だ。
●絵画は別だ、パレットに自然を模した二十七の色調の緑と、さらには緑には見えない色も作ることができる、そしてそれが芸術と呼ばれるものだ。(中略)風景を言葉で描くのは単に不可能なのだ。
●スペイン人は信用なりませんからね、皇帝を戴いて以来、つけあかっているんですよ、(中略)オーストリア人は悪人ですか、と隊長は訊ねた。自分たちが一番偉いと思っていますね。それはありがちな罪ですな、たとえば私は、つい自分のほうが兵士たちより上だと思っていますし、兵士たちは力仕事を手伝うために雇われた男たちよりも上だと思っていますから。象はどうです、と司令官は笑いながら訊いた。象は別です。あれはこの世のものではありません、と隊長は答えた。
この作品は「象」を「真の他者」として、人間がそれとどのように和解し、親和的に理解し合うかを描いた、「世界」の成り立ちのひとつ側面と局面をユーモアとイロニーのうちに描いた壮大な物語です。(笑)。
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