『いくつもの武蔵野へ -郊外の記憶と物語-』赤坂憲雄著を読む。
「人はだれしも、それぞれに原風景(のようなもの)をもっているのだと思う。わたしにとって、それは東京の郊外に広がる雑木林と畑と原っぱのある風景だった。それが昭和三十年代の府中に残っていた武蔵野である」
『武蔵野』というと国木田独歩が思い浮かぶが、独歩の武蔵野はなんと渋谷・宇田川町だった。ハンズ(旧名東急ハンズ)そばに石碑が建っている。いまは、繁華街だが、当時は、武蔵野の一部。ま、近くに代々木公園がある。あれも、武蔵野の名残りなのだろうか。
「武蔵野はいま、移民たちの大地なのではないか」
「独歩も、宮本常一も、わたしに父も、みなどこか地方からの移住者であった」
「花田清輝は「異郷を故郷として生きる」」人々だと。
「3代続けば江戸っ子」とかいうが。東北出身のぼくとて、「異郷を故郷として生きる」ものの一人だし。
まさに、武蔵野に関するアルケオロジー(知の考古学)。中沢新一風にいうなら「アースダイバー武蔵野」。
東京の地形に興味のある人ならば、おなじみの国分寺崖線。
「武蔵野では、この国分寺崖線がハケと呼ばれてきた。断面図を思い浮かべてみれば、北側から、武蔵野段丘/ハケ/野川/立川段丘と、高さが10~20メートルの崖を下っていく形となる。ハケの直下を流れる野川は、「国分寺崖線を形成した古多摩川の名残川」ということになる。古多摩川が刻んだ古い浸食谷のなかの水流、それが名残川である。このハケの下、野川沿いは、文化史的には「古代武蔵の銀座通り」であったという指摘など、いたくそそられるものがある」
「古井由吉の『野川』の一節「親たちは流入者さ、―略―手前も年々、居ながら流入者になっていく」に共感を覚える。晩年、古井は武蔵野の面影を残す馬事公苑に住んでいた。武蔵野よりも大の馬好きということが決めた理由かもしれないが。
ほかにも武蔵野について書いた小説や作家をさまざま、紹介しており、武蔵野文学ガイド的側面もある。
大岡昇平原作の『武蔵野夫人』の映画を見て、著者はハケが映像になかったことに不満、違和感を覚えたそうだ。2時間ドラマで船越英一郎扮する刑事が真犯人を追い詰めるクライマックスシーンが崖だったように。武蔵野はハケがないとらしくないようだ。
「大都市の郊外には、きまって都市の内側から排除された、それぞれに負性を帯びたモノが集中的に見られる。わたしが幼少期を過ごした府中にも、少年院や刑務所、米軍基地はハウス・カソリック墓地、巨大な霊園、精神病院や保養施設などが点在していた。戦前に、それまで薪炭林や草刈り場とした利用されてきた入会地や原野が、大会社の工場や軍事施設となり、戦後がそこに大学などの学校や工場が誘致され…。―略―多くの文学作品のなかで、武蔵野は心身の病とその療養にまつわる内的体験の場として語られてきた」
宮崎駿監督の『となりのトトロ』や高畑勲監督の『平成狸合戦ぽんぽこ』の風景。
その昔、取材の帰り、営業マンのクルマで多摩丘陵を越えたことがある。そびえたつ多摩ニュータウンの団地。それと山を切り崩して整地された広大な土地が目に入った。そこに新たな集合住宅や戸建ては建てられたのだろうか。
『山の精神史 柳田国男の発生』赤坂憲雄著
『ナウシカ考 風の谷の黙示録』赤坂憲雄著
『言葉をもみほぐす』赤坂憲雄著 藤原辰史著
『排除の現象学 』赤坂憲雄著
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