すずはら なずなさん
レビュアー:
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高校生の頃は若者の主人公に共感した。今再読すると孤独な初老の「アーネストおじさん」の気持ちが汲めて悲しくなる。結婚当初読んだら夫婦の話「漁船の絵」はどう感じただろう。
私は結構真面目な学生だったので、感化院送りや警察にお世話になる若者たちの日常に「共感する」というのはちょっと違うかもしれない。
でも、やたら政治に関心を持ち、上から目線で労働者階級との結婚を自ら選んだあげく、結局は馬鹿にして家を出てしまう「ジム・スカーフィデイルの屈辱」のジムの妻みたいには思われたくないのだ。
ただこの作品集を読んでいる間だけは 自分も壁の薄い貧しい家の立ち並んだ町で喧嘩やののしりあいが絶えない家庭で育ち、学校を出たら近くの工場で働く未来しか見えず、誰かのポケットから小銭をくすねたりちょいと泥棒に入ったり、石を投げて戦争ごっこで血を流したりなんて日々を送っている気がするのだ。脳内のしゃべり方までちょっとワルぶって。(ヤクザ映画を観た帰りのお兄さんたちみたいにね)
以下いくつかの簡単な紹介と感想です。
●「長距離走者の孤独」
孤独と言っても寂しがったりぐずぐず悩む話ではありません。(最近恋愛でぐずぐず悩む話を続けざまに読んだので、主人公スミスのブレない思考が心地良かったです)
感化院で院のため院長の名誉や満足のためランナーとして対抗試合に出場することになったスミス。練習でも自由に外を走ることも許されています。走ること自体は好きなので ほかの皆がまだ寝ている時間に走るのも苦ではなく、逃げ出して捕まるのも馬鹿らしいと、自由な外出ができても脱走計画などは立てません。
ただ院長の訓戒で言う「誠実」という言葉は、彼自身の認める「自分への誠実さ」とは全く相いれないことが解ります。このレースで優勝することは彼の「誠実」ではない。ではどうするか。
レースの展開の記述は臨場感があり、まるで感化院の仲間が待ち受けるゴール地点で自分も声援を送っている気持ちになります。そして彼の選んだ「誠実な行為」の意味をちゃんと理解して心で喝采を送るのです。
回想の警官とのやりとり(窃盗を疑われてもとぼけ続け、安全だった隠し場所が不幸にも(?!)発覚する下りとか)も楽しく読めました。これ以来この隠し場所は使えないんだろうなと思います。
●「アーネストおじさん」
工事請け負いの仕事でぎりぎりの生活。家族はなく、少しお金がある時はビールを飲むくらいが楽しみのおじさん。
貧しくてお腹をすかせた小さな姉妹と店で同席になり、ついついおごってあげてしまいます。
その日から誰かと話をする、誰かに頼りにされる、会うのを楽しみにする、そんな小さな楽しみをアーネストおじさんはこの見知らぬ姉妹から得てしまいます。
姉妹にとっておじさんはただのお財布だったのでしょうか。まさか最初っから計画的じゃないよね、と願ってしまうのは私だけでしょうか。せめておじさんのやさしさに感謝しておじさんが喜ぶのをうれしいと思っていてくれたらいいな。
でも世間の「常識」はこの関係を見過ごしません。警察がやってきます。
おじさんは本当に幼い子供に悪影響を与える行為をしているんでしょうか。責められるのがおじさんだというのが何ともむなしい現実です。ここでも「誠実さ」って何だろうって考えてしまいます。
●「漁船の絵」
仕事に就いたら結婚する、と決めていた娘と約束どおり結婚した郵便配達人ハリー。
どの家にもありがちなすれ違いばかりなのに、ある日彼女はほかの男と家を出て行ってしまいます。
何年も経ってふらりと戻って来た(立ち寄ったと言った方がいいかもしれません)彼女は生気がなく家に入るのに逆にコートのボタンをかけます。それからたびたびやって来るようになりますがお茶を飲んだりたわいない話をしたり、それも無く沈黙したままだったり、彼女の意図はつかみにくい。
元から気に入っていて欲しいと言うから持ち帰らせた「漁船の絵」は速攻質店に置かれています。
ハリーが買い戻してまた同じ場所に飾ったのを見ても彼女はそれには触れません。
聞き出せば何かは変わっていたのかもしれません。相手の気持ちを大事にして黙っているようで、結果相手の考えていたことはわからないまま。駆け落ち相手がすぐに病気で死んでしまったことくらいしか聞き出せず、住んでいる家の場所もその後の暮らしぶりも、どんな思いで暮らしているのか会っているのに聞き出せていないのです。
それからは毎回少しのお金を貸してもらって彼女はまた帰っていき、また日をおいてやってきます。
「あなたって興奮すること、決してなかったわね、ハリー」
「興奮すればよかったのに」「そしたらあたしたち、あんなことにならなくてすんだのに」
結局夫の喧嘩やごたごたを避ける「やさしさ」は彼女には「冷たさ」にしか取れなかったのかもしれません。怒って連れ戻しにも来なかった。久しぶりに戻っても詰問するでもない。
欲しがった絵を質に出した理由も聞かない。
やがて彼女は事故で死んでしまいます。もう一度貰ったはずの「漁船の絵」をまた質に入れ、今回は自分で買い戻したのでしょう、絵も一緒に事故現場にありました。彼女の血に汚れて。
葬儀の時いた知らない男性は彼女と暮らしていたようです。彼の家を確認し、近所の人のうわさ話でもわかりました。でも肝心なのは彼女が幸せそうでなかったこと。変わらず訪ねてきていたこと。
漁船の絵にこだわり、質に入れる行為をまた繰り返したこと。
彼はやっと自分が間違いなく彼女を愛していたことと自分の取って来た行動が「頓馬」だってことに気づくのです。
カッとなって争うことは避けても愛していることはちゃんと伝わらなくちゃ意味がない。相手のすることで真意が知りたければちゃんと聞かないといけない。
「やさしさ」が間違った方向に行っちゃった話だと思うのです。
あの時こうしていたら何かが違っていた、なんて後から悔やんでもむなしいだけですね、大なり小なり誰でも避けられないことではあるけれど。
●「土曜の午後」
子供が首つりに立ち会ってわくわくし、相手も手伝わせようとする。何ともハードな世界です。でも貧困や失業の日々の中あっても不思議ではない感じです。
首つりは失敗に終わりますが、警官に「自殺未遂の罪で5年の罪はくらう」と言われます。自殺は法律違反なのです。
「自分の命も自由にならない」と嘆く男。法律は何も守ってくれないし助けてくれそうにない。
●「ジム・スカーフィデイルの屈辱」
息子べったりの母とマザコン男の話と言ったら身も蓋もないのですが。
母は何につけても どんなに自分が息子に尽くしてきたかと自分の苦労を訴えます。
いきなり全然知らない娘と結婚するだなんて、母は怒り、泣き落としにかかります。
やっと引き合わせた女性は労働者と結婚すべきと考える思想家でかなり頭でっかちな感じです。気取ったしゃべり方もこの近辺ではお目にかかれないタイプ。
まあ結果は見えてたみたいなものですが夫婦でよそで暮らし、やがて息子は帰ってきます。この結婚は不幸に終わったようです。母は喜んでいます。
この母と息子の一部始終のやり取りを 近所に住む少年が外の壁の隙間から盗み聞きしているというシチュエーションで物語が語られています。
彼がその後何をやってしまったのか。
この母にしてこの息子あり。出会った女も間違いだった。貧困も教育制度も環境も悪い条件ではあります。でもやっぱり責任は自分自身にあるのだと思います。
●「フランキー・ブラーの没落」
身体だけは育ってしまっているフランキー。近所の悪童を集めて隣町の連中と戦争ごっこ。彼は隊長です。
少年たちの自由で楽しい時間はいつまでも続くものではありません。いつか少年たちの背もフランキーに追いつき追い越し、いつまでも彼と遊んではいられなくなります。
戦争を経て再会した主人公とフランキー。フランキーの様子がどこか変わっていたのは精神病院で「治療」されたから。フランキーがそのままの彼として生きることを世の中が否定し強引に変えようとしたように感じます。
作者の作品群を読んでいくと思います。そこに出てくるような世の中の「常識」や「誠実」を掲げそれを疑わない人々、自分たちの階層の生活こそ正しいと疑うこともしない人々のやり方が本当に間違いないのだろうかと。
声高に世の中の改革を訴えるわけではなく、でも壊したいその壁や上から見下ろす奴らをいつかどうにかしてやるんだという作者の怒りが伝わってくるようです。
余談になるかもしれませんが、よく出てくる「お茶の時間」。貧しくて洒落たおやつと一緒にいただく感じではありませんが、悪ガキも間に合うように帰り、喧嘩ばかりの夫婦も文句を言いながらでも必ず守ろうとする習慣のようです。この国ならではの風景なのかなと思いました。
でも、やたら政治に関心を持ち、上から目線で労働者階級との結婚を自ら選んだあげく、結局は馬鹿にして家を出てしまう「ジム・スカーフィデイルの屈辱」のジムの妻みたいには思われたくないのだ。
ただこの作品集を読んでいる間だけは 自分も壁の薄い貧しい家の立ち並んだ町で喧嘩やののしりあいが絶えない家庭で育ち、学校を出たら近くの工場で働く未来しか見えず、誰かのポケットから小銭をくすねたりちょいと泥棒に入ったり、石を投げて戦争ごっこで血を流したりなんて日々を送っている気がするのだ。脳内のしゃべり方までちょっとワルぶって。(ヤクザ映画を観た帰りのお兄さんたちみたいにね)
以下いくつかの簡単な紹介と感想です。
●「長距離走者の孤独」
孤独と言っても寂しがったりぐずぐず悩む話ではありません。(最近恋愛でぐずぐず悩む話を続けざまに読んだので、主人公スミスのブレない思考が心地良かったです)
感化院で院のため院長の名誉や満足のためランナーとして対抗試合に出場することになったスミス。練習でも自由に外を走ることも許されています。走ること自体は好きなので ほかの皆がまだ寝ている時間に走るのも苦ではなく、逃げ出して捕まるのも馬鹿らしいと、自由な外出ができても脱走計画などは立てません。
ただ院長の訓戒で言う「誠実」という言葉は、彼自身の認める「自分への誠実さ」とは全く相いれないことが解ります。このレースで優勝することは彼の「誠実」ではない。ではどうするか。
レースの展開の記述は臨場感があり、まるで感化院の仲間が待ち受けるゴール地点で自分も声援を送っている気持ちになります。そして彼の選んだ「誠実な行為」の意味をちゃんと理解して心で喝采を送るのです。
回想の警官とのやりとり(窃盗を疑われてもとぼけ続け、安全だった隠し場所が不幸にも(?!)発覚する下りとか)も楽しく読めました。これ以来この隠し場所は使えないんだろうなと思います。
●「アーネストおじさん」
工事請け負いの仕事でぎりぎりの生活。家族はなく、少しお金がある時はビールを飲むくらいが楽しみのおじさん。
貧しくてお腹をすかせた小さな姉妹と店で同席になり、ついついおごってあげてしまいます。
その日から誰かと話をする、誰かに頼りにされる、会うのを楽しみにする、そんな小さな楽しみをアーネストおじさんはこの見知らぬ姉妹から得てしまいます。
姉妹にとっておじさんはただのお財布だったのでしょうか。まさか最初っから計画的じゃないよね、と願ってしまうのは私だけでしょうか。せめておじさんのやさしさに感謝しておじさんが喜ぶのをうれしいと思っていてくれたらいいな。
でも世間の「常識」はこの関係を見過ごしません。警察がやってきます。
おじさんは本当に幼い子供に悪影響を与える行為をしているんでしょうか。責められるのがおじさんだというのが何ともむなしい現実です。ここでも「誠実さ」って何だろうって考えてしまいます。
●「漁船の絵」
仕事に就いたら結婚する、と決めていた娘と約束どおり結婚した郵便配達人ハリー。
どの家にもありがちなすれ違いばかりなのに、ある日彼女はほかの男と家を出て行ってしまいます。
何年も経ってふらりと戻って来た(立ち寄ったと言った方がいいかもしれません)彼女は生気がなく家に入るのに逆にコートのボタンをかけます。それからたびたびやって来るようになりますがお茶を飲んだりたわいない話をしたり、それも無く沈黙したままだったり、彼女の意図はつかみにくい。
元から気に入っていて欲しいと言うから持ち帰らせた「漁船の絵」は速攻質店に置かれています。
ハリーが買い戻してまた同じ場所に飾ったのを見ても彼女はそれには触れません。
聞き出せば何かは変わっていたのかもしれません。相手の気持ちを大事にして黙っているようで、結果相手の考えていたことはわからないまま。駆け落ち相手がすぐに病気で死んでしまったことくらいしか聞き出せず、住んでいる家の場所もその後の暮らしぶりも、どんな思いで暮らしているのか会っているのに聞き出せていないのです。
それからは毎回少しのお金を貸してもらって彼女はまた帰っていき、また日をおいてやってきます。
「あなたって興奮すること、決してなかったわね、ハリー」
「興奮すればよかったのに」「そしたらあたしたち、あんなことにならなくてすんだのに」
結局夫の喧嘩やごたごたを避ける「やさしさ」は彼女には「冷たさ」にしか取れなかったのかもしれません。怒って連れ戻しにも来なかった。久しぶりに戻っても詰問するでもない。
欲しがった絵を質に出した理由も聞かない。
やがて彼女は事故で死んでしまいます。もう一度貰ったはずの「漁船の絵」をまた質に入れ、今回は自分で買い戻したのでしょう、絵も一緒に事故現場にありました。彼女の血に汚れて。
葬儀の時いた知らない男性は彼女と暮らしていたようです。彼の家を確認し、近所の人のうわさ話でもわかりました。でも肝心なのは彼女が幸せそうでなかったこと。変わらず訪ねてきていたこと。
漁船の絵にこだわり、質に入れる行為をまた繰り返したこと。
彼はやっと自分が間違いなく彼女を愛していたことと自分の取って来た行動が「頓馬」だってことに気づくのです。
カッとなって争うことは避けても愛していることはちゃんと伝わらなくちゃ意味がない。相手のすることで真意が知りたければちゃんと聞かないといけない。
「やさしさ」が間違った方向に行っちゃった話だと思うのです。
あの時こうしていたら何かが違っていた、なんて後から悔やんでもむなしいだけですね、大なり小なり誰でも避けられないことではあるけれど。
●「土曜の午後」
子供が首つりに立ち会ってわくわくし、相手も手伝わせようとする。何ともハードな世界です。でも貧困や失業の日々の中あっても不思議ではない感じです。
首つりは失敗に終わりますが、警官に「自殺未遂の罪で5年の罪はくらう」と言われます。自殺は法律違反なのです。
「自分の命も自由にならない」と嘆く男。法律は何も守ってくれないし助けてくれそうにない。
●「ジム・スカーフィデイルの屈辱」
息子べったりの母とマザコン男の話と言ったら身も蓋もないのですが。
母は何につけても どんなに自分が息子に尽くしてきたかと自分の苦労を訴えます。
いきなり全然知らない娘と結婚するだなんて、母は怒り、泣き落としにかかります。
やっと引き合わせた女性は労働者と結婚すべきと考える思想家でかなり頭でっかちな感じです。気取ったしゃべり方もこの近辺ではお目にかかれないタイプ。
まあ結果は見えてたみたいなものですが夫婦でよそで暮らし、やがて息子は帰ってきます。この結婚は不幸に終わったようです。母は喜んでいます。
この母と息子の一部始終のやり取りを 近所に住む少年が外の壁の隙間から盗み聞きしているというシチュエーションで物語が語られています。
彼がその後何をやってしまったのか。
この母にしてこの息子あり。出会った女も間違いだった。貧困も教育制度も環境も悪い条件ではあります。でもやっぱり責任は自分自身にあるのだと思います。
●「フランキー・ブラーの没落」
身体だけは育ってしまっているフランキー。近所の悪童を集めて隣町の連中と戦争ごっこ。彼は隊長です。
少年たちの自由で楽しい時間はいつまでも続くものではありません。いつか少年たちの背もフランキーに追いつき追い越し、いつまでも彼と遊んではいられなくなります。
戦争を経て再会した主人公とフランキー。フランキーの様子がどこか変わっていたのは精神病院で「治療」されたから。フランキーがそのままの彼として生きることを世の中が否定し強引に変えようとしたように感じます。
作者の作品群を読んでいくと思います。そこに出てくるような世の中の「常識」や「誠実」を掲げそれを疑わない人々、自分たちの階層の生活こそ正しいと疑うこともしない人々のやり方が本当に間違いないのだろうかと。
声高に世の中の改革を訴えるわけではなく、でも壊したいその壁や上から見下ろす奴らをいつかどうにかしてやるんだという作者の怒りが伝わってくるようです。
余談になるかもしれませんが、よく出てくる「お茶の時間」。貧しくて洒落たおやつと一緒にいただく感じではありませんが、悪ガキも間に合うように帰り、喧嘩ばかりの夫婦も文句を言いながらでも必ず守ろうとする習慣のようです。この国ならではの風景なのかなと思いました。
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実家の本棚の整理を兼ねて家族の残した本や自分の買ったはずだけど覚えていない本などを読んでいきます。今のところ昭和の本が中心です。平成にたどり着くのはいつのことやら…。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:246
- ISBN:9784102068014
- 発売日:1973年08月01日
- 価格:500円
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