著者の作品は、エッセー第一弾のショートカット先
「すべて忘れてしまうから」をタイトル借りして気に入りました。次に、エッセー第二弾のショートカット先
「夢に迷って、タクシーを呼んだ」を読み、この作品を手に取りました。エッセー第三弾もでているみたいです。
エッセー第四弾も期待通りの脱力系で、前作よりも文章がこなれていました。コノヤロー、お上手に書いてんじゃねー! と突っこみながら読むのが、著者に対する正しい接しかたかなと思っています(どんなんだ
たいしたことのない日常。ドラマチックなことなんてありません。でも、文章の力ってすごいですね。語りかた一つで、実に味わい深いものになるのです。それがこのエッセーの立ち位置です。
鍵をかけ忘れた日記、という話にこんなことが書いてありました。
著者はネガティブ思考の人で、ネットで本のレビューを見ては落ち込んでいます。むかしで言う、ドMというやつですね。評価の高いものを見つけて喜びつつも、くさすレビューが少しでもあるとそれに全振りしてしまうのです。
「内容がなかった」
「こんなものは小説じゃない。時間の無駄」
「ただの日記だ」
このことを知り合いの映画監督に話しました。ゲラゲラ笑いながら、「でもさ」とその人は言ったのです。
「有名な文豪の未発表の作品が見つかったとするじゃん。それとラブホテルに置いてあったノート、どっちが読みたいかって聞かれたら、断然ラブホテルのほうじゃない?」
ラブホテルに置いてあるノートには、「誰にも言わないでね」から始まる文書を書きたいし、読みたいと思った著者がいたのです。
このくだりで、わたしは何か分かったような気になりました。著作の魅力の源泉だと思います。著者は死にたくなる気持ちを肯定する人で、すべてをあるがまま受け入れ、柳のようにゆらりと流していく生きかたに見えます。人間は他人にからまれると、つい反発したくなりますが、達観といえばいいのか、自然体で接するやりかたもあるわけで、その面白さが著者の作品群から伝わってくるのですね。
もちろん、全部その調子で柳になっていると、人生やばいでしょうね。それも含めて、自分らしく生きることの意味を教えてくれました。前のめりだけが人生じゃないです。著者の作品を読むと、馬鹿だなあと思いながら、半分自分に言い聞かせるような魅力があるのです。
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