1933年刊の本書については、先行レビュアーの方々が素晴らしい書評を書いていますし、そこで内容についても詳しく述べられているので、私は、それとは違った視点で、感じたことを書かせてもらいます。
まず、主人公の名前ですが、チッピング Chipping というのが本名で、イギリスの代表的なジャンク・フード、フィッシュ&チップスの Chips をあだ名として受け入れているというところに、主人公のおおらかさと気取りのなさを感じさせて、とても良い設定だと思います。「切れっぱし先生」「ジャガイモ先生」などとあだ名されても、平気だということです。
また、本書の中では、三回使われる題名の「チップス先生、さようなら」 Goodbye, Mr. Chips について話をすると、日本語では分かりにくいのですが、'Goodbye'というと、かなりあらたまった言い方で、よく知らない相手に使われることが多く、時としては二度と会えない若しくは会わない相手に対して用います。英語の日常会話で気楽な間柄ですと、'Bye.' 'Bye for now.'あたりが普通使われます。
最初に使われるのは、48歳になった主人公が25歳のキャサリンとの結婚式の前夜、彼女に「わざと重々しい口調で」言われる場面です。
「わたしたちがこうやって”さようなら”をいいあうのも―ええ、これが最後ね。(中略)(これから、あなたのことを)”あなたさま”とよべばいい?それとも―”チップス先生”って呼んだほうがしっくりくる?そうね、”チップス先生”がいいと思う。今夜はこれで、さようなら。さようなら、チップス先生」
ここでの”さようなら”は、キャサリンの「あなたとはもう他人でない。一生あなたと一緒にいる」というメッセージなのです。しかし現実は残酷です。
「母親と生まれたばかりの赤ん坊は、どちらも同じ日に―1898年4月1日に―世を去った」
チップスとキャサリンの幸せな生活は、2年しか続かなかったのです。
そして、二回目は、教師を65歳で退職してからも、ブルックフィールド校の向かいにある家に下宿しているチップスを、リンフォードという新入生の少年が訪ねていく場面です。チップスは引退してからも、在籍中と同じようにブルックフィールド校の生徒相手にお茶会を開いていましたが、リンフォード少年は、はしかで入院していたため、初見参だったのです。
楽しい時間を過ごした後、リンフォード少年はチップスの家から去り際に、当然、別れの挨拶をします。
「チップス先生、さようなら」
この場合の”さようなら”は、無意識のうちに、おそらくもう会うことのないであろう退職教師チップスを感じての言葉でしょう。そして、その翌日、チップスは世を去ります。本書の最後の行は、リンフォード少年の次の台詞です。
「亡くなる前の晩、ぼくはあの人に言ったんだ。チップス先生、さようなら...って」
リンフォード少年は、チップスの「何千人もの子供たち」を代表して、チップスに別れを告げる役を担ったのです。そして、リンフォード少年は、それをチップスの死後に意識したのでした。
さて、本書を読んで、印象的なことは、実に多くの人間が死ぬことです。第一次大戦を間に挟んでの時代設定なので、当然のごとく、チップスの教え子たちの多くが戦死しますし、ブルックフィールド校でドイツ語を教えていた、いわば敵方のドイツ人も戦死します。チップスは、日曜日の礼拝で、学校関係者の戦死を告げる時に、このドイツ語教師の名前も挙げ、イギリス人の同窓生と同じように追悼の意を表すのですが、ここは本書の中でも最も感動的な場面の一つです。
そして、特徴的なのは、各々の死の状況についての詳しい説明がない、ということです。キャサリンと赤ん坊の死が典型的ですが、あっさり一行で片づけている場合が多いです。その代わり、彼らの生前の思い出やエピソードを語っています。人が死ぬ時、残された者が感じるのは、そういうことではないでしょうか。
先日、私が以前勤めていた会社で同期入社した男性が亡くなりましたが、それを知ったのは一通のメールによってでした。その時にも、死の様子など、実はどうでもよくて、大切なのは生きている間の思い出なのだという、当たり前のことを感じたものです。
本書は、狭い世界では有名人でも、広い世界から見れば無名に等しい人間の、不幸なこともあり、癒しがたい傷を負ったこともあるものの、それでも幸福だった人生を語ったものです。作者のヒルトン(1900-1954)が、この作品を書いた時には30代前半だったわけで、これを書く前は人気作家というわけではなかったようですから、自分自身が歩んでいる道が誤っていないという自負と、自分の一生への希望が込められているような気がします。なまじ人気作家になる前だから、書けた小説ではないでしょうか。そんなことを、読後に感じました。
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