ミゲル・オテロ=シルバ(1908-1985)は、ベネズエラに生まれましたが、生涯、政治に深く係わった生活を送りました。ベネズエラも、南米らしく(?)1908年にクーデターを起こして権力を掌握した独裁者フアン・ビセンテ・ゴメスの時代が1935年まで続きました。反ゴメス運動に係わっていたオテロ=シルバは、1929年には仲間と共に政府転覆を計った軍事行動に参加したのですが、結局失敗に終わり、海外に亡命します。彼の政治的立場は、基本的には共産主義者だったようで、そのせいが大きいのでしょうが、体制が変わっては帰国し、帰国しては亡命し、ということを何度か繰り返しています。したがって、作品も執筆時の政治事情を反映したものが多いそうですが、晩年の1979年に発表された本書は、実在した反逆児ローペ・デ・アギーレ(1510-1561)を描いたものです。
アギーレのことは日本ではあまり有名ではないと思いますので、簡単にその生涯に触れておきます。彼はバスク出身で、母方の祖父の伯爵は時の権力者を罵ったために、舌を切り取られるという刑を受けています。本書の前半ではスペイン国王フェリーペ二世に忠誠を誓う姿が描かれているのですが、それは表向きにことだったのではないかと思います。21歳の時に、250名の南米への遠征隊に加わります。1536年か37年に南米に着きましたが、その反逆児ぶりが顕著になったのは、1560年のペドロ・デ・ウルスーア率いるエル・ドラード(黄金郷)探索の旅に同行してからです。それまでの南米での生活では、スペイン人の暴虐をいやというほど見てきたはずで、それも影響していたのでしょう。本書では、フェリーペ二世に宛てた手紙が紹介されていますが、その中でもこう述べています。
「インディオから金を奪うだけでも充分で、余りあるとさえ思われますのに、彼らを愚弄し、責めさいなむがごときは無用な悪行以外の何でありましょうか?フランシスコ・ピサーロが最後のインカ王アタウアルバを捕まえた時、彼を捕虜としてスペインに送り、陛下の御足に接吻させたとすれば、キリスト教徒としてこの上なく望ましい栄光に満ちた行為でありましたのに、法外な身代金をとったあげく首を刎ねてしまうとは、思い上がりもはなはだしいというものではないでしょうか?たまたまわたくしは、エルナンド・ピサーロがクスコの広場で6百人のインディオの右腕を切り落とすよう命じたあの嘆かわしい日に、野次馬の中にまじってその光景を目のあたりにしましたが、彼はこのようにして片腕をなくした6百人の陛下の敵をこの世に残したのでございます」
さて、ウルスーアの探検隊は、彼がペルー随一の美女と謳われるイネス・デ・アティエンサを同行させてことによる規律の緩みや彼女の食事の優遇などもあり、アギーレが副官フェルナンド・デ・グスマンを神輿にかつぎだして、彼を暗殺します。そして、次はグスマンを暗殺し、自分が隊長となります。そして、たかだか2百名程度の軍隊にもかかわらず、ペルーの独立を宣言し、スペイン軍に戦いを挑みました。その過程において、自分の不服従の気配が見えただけで、誰であろうと次々と処刑し、捕虜にしたスペイン人の眼前で「お前たちの命はとらない」と約束した後で、彼らを閉じ込めた牢に兵隊を送って皆殺しにしたりします。しかし、目的がなんであろうと、こんな暴君が長続きするはずもなく、最後にはスペイン軍に殺されるのですが、その前に、インディオとの間に作った、目に入れても可愛くない娘エルビーラを、スペイン人に暴行されるのは耐えられないと言って、自らの手で殺したのでした。
さて、本書の作者註には、本書を書くにあたって、188人の作者―インディアスの年代記作者、報告書作成者、歴史家、随筆家、精神病医、モラリスト、物語作家、詩人、劇作家などーによる書物を参考にしたとあります。当然ながら大半が罵詈雑言で彼のことを描いています。
「猜疑心が強く、高慢で不実な、そして人を欺く男。彼が真実を口にすることはほとんどなく、彼は決して約束を守らない」
「彼はユダ以来、この世に生を受けた最悪の人間である」
「彼の人生は、ペンが書くのをためらい、理性が信じるのを拒むような、前代未聞の暴虐によって織りなされている」
「精神錯乱の明白な例」
ところが、作者は、シモン・ボリバル(1783-1827)だけは、アギーレを称賛していたことを指摘しています。バリボルも日本では知名度があまり高くないと思いますが、ベネズエラ、コロンビア、ボリビア、ペルーをスペインからの独立に導いた、南米では「解放者」El Libertador と呼ばれる人物です。彼はアギーレがスペイン国王に書いた独立宣言文(南北米大陸最初と言われています)を非常に高く評価していたようです。作者はこう書いています。
「ローペ・デ・アギーレよ、あなたはあなたの中傷者たちが思っているような狂人ではなかった。あなたが夢見たことを実現せんとするかのように、シモン・ボリーバルは恐れを知らぬ勇敢な叛乱兵士たちの先頭に立ってアンデスの頂を越え、新グラナダ王国の平原において何度も国王軍をうち負かし、破竹の勢いでペルーまで行進を続けるであろう。そして、あなたが夢見ていたように、インディアス全域から永久に、スペイン王、これはもはやフェリーペ二世ではなくフェルナンド七世であるが、そのスペイン王の派遣した総督や役員を追放してしまうであろう」
もちろん、この文章の背景には、作者自身が反逆者であったという事実があります。ですから、それを踏まえて、咀嚼すればいいでしょう。また、この作品は、一人称と三人称、直接話法と間接話法、作者の文章と過去の実在した手紙、小説形式と戯曲形式というように、小説としてありとあらゆる表現形式を採用していて、ちょっと混乱するようなところがあります。もっと、普通の小説にした方がよかったのではないかと思うのですが、失礼ながら、過去の資料だけでこの人物を描くのには、ちょっと手が余ったのかもしれません。というわけで、小説としては必ずしも高く評価しないのですが、アギーレという典型的な反逆児を描いたという点において、興味深いものです。読みながら思い出したのは、「革命とは暴力である」という毛沢東の言葉でした。
なお、アギーレのことを私が初めて知ったのは、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の『アギーレ 神の怒り』(1972年)です。マカロニ・ウエスタンの悪役として名を売っていたクラウス・キンスキーがアギーレを演じ、実際の歴史とは違い、あくまでもエル・ドラードを追い求める狂気の男を熱演していました。「神の怒り」とは、本書の中でも述べられていますが、自分自身のことです。ラストの、たった一人になっても筏でアマゾンを下り、その筏の上には小猿が群がっているという強烈な場面が忘れがたい映画でした。
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