三十年ぶりくらいに読み直した。ガルシア=マルケスの百年の孤独を買って、挫折しそうな友人に翻訳小説を嫌いになってほしくなくて、本書を新たに文庫本を買って渡すために、一気読みした。三十年の間に父が認知症になり、母が脳の血管が詰まる病気になって施設に入ってしまった。初読と、両親の変化を経た私の読後感の違いを、それこそレビューに書くべきなのだけれど、自分自身が歳をとってしまって上手く書けない。三十年後、私はこの本を上手に読めるのか? 知的障害を人間扱いしなかったニーマー教授に憤りながら、知識を吸収できる自分を手放すことに争うチャーリーの姿に、少なからず、老いていく私は自身を重ねて読んだ。地理に詳しかった父はわずかな半径で迷子になってしまうようになった。私は、愛あるイジリ、というある種のお笑いは大嫌いである。しかしパン屋で好かれるために笑われるチャーリーは複雑だ。知識は孤独と両輪となった。反感と共感の綱渡りがぐらぐらと揺れた。チャーリーの、眼差しはウォレン擁護施設の献身的なスタッフにさえ、クッションを置くよう。頼りがいのある兄として、チャーリーは妹とふたたび出会う。以前の白痴であった自分なら、妹はこうも話していただろうか? 妹を守ったのだとチャーリーは母を許す。ケネディ大統領の妹がロボトミー手術を受け、人格が破壊されたとどこかで読んだ。詳しくはないけれど、適者生存と下劣な優生思想はかすってもいない事柄なのは言うまでもない。某人気ミュージシャン(大ヒット劇場アニメーションの主題歌を歌った)が、Twitterで、某一流野球選手や某棋士のような人たちのお化け遺伝子の配偶者は国家プロジェクトとして国が選定したら? というようなツイートをした。もちろん大炎上した。もし野球がうまいほど生存の足枷になるような突拍子もない世界であったのなら? 抜群のバッティングやピッチングが社会のお荷物になるような世界であったのなら? 大谷選手は真っ先にウォレン擁護施設行きか? 某ミュージシャンに問いたい。
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