カツオは奈良時代の木簡の行政文書にも数多く記録されており、当時の重要な海産物であったことが分かります。
ただし、現在のような輸送方法があったわけもなく、またどのような形で運ばれたのかもはっきりとはしていません。
そういった、古代のカツオについて様々な方向から多くの研究者が成果を持ち寄った内容となっています。
平安時代にまとめられた延喜式にはカツオについて多くの事項が記されていますが、それはすでに奈良時代にさかのぼることが分かっています。
当時は税である「調」の中でも重要な物品として堅魚すなわちカツオが納入されていましたが、それは荒堅魚、煮堅魚、そして堅魚煎汁であったとされています。
ただしその具体的な物品の様子は明確ではありません。
調として堅魚を納入するように定められていた国々は東海から近畿にありましたが、中でも駿河と伊豆が非常に多かったことが分かっています。
また、現在の静岡県地方に当時の漁業および加工施設の遺跡が残っています。
朝廷側からも重要な地域として認識されていたようです。
なお、現代ではカツオ漁は外洋に出て群れを追うものですが、当時は内海に入ってきたカツオを網ですくうものでした。
そのような漁は浅い海ではできず、その意味でも駿河湾のように深い水深が湾の奥まで続いているところではカツオの回遊も多かったのが駿豆地方が特にカツオ産地として重要だった理由です。
様々な資料から類推し、どうやら荒堅魚は切り身にしたカツオを塩水に漬けた後に天日干しをしたもののようです。
また、煮堅魚は塩水で煮てから干したもの、さらに煎汁はその煮汁にさらにアラを加えて煮込んだもののようです。
当時はまだ製塩産業が発達しておらず、近代になれば塩の粉末で塩漬けするのですが、それはまだできませんでした。
また、塩水で煮るにも大型の容器がまだなく、小さな容器で煮ていたので煮堅魚は非常に高価なものになっていました。
共同研究に参加した研究者の中には食品衛生専門家や栄養学専門家もいたということで、その研究報告は私にとっては分かりやすいものでした。
非常に細かく研究方法も書かれています。
数多く出土している須恵器の壺の中で壺Gと言われているものがどうやらこの堅魚製品の中でも煎汁の運搬に用いられていたようです。
そこから逆算してこの煎汁がどのような形態のものであったのかも想像しています。
現代の煮汁のようなものであれば壺での輸送などは20日ほどかかったとみられる運搬期間の間に変質してしまいます。
そのため、よほど煮詰めてゼリー状になったのではないかという推測もされていますが、それでは壺Gでの輸送は難しそうで、不明な点は残るようです。
静岡県地方で漁獲されたカツオを税としてどうやって都に運んだのか。
今から振り返るとよく分からない点がいろいろとあるようです。
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