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堀辰雄訳にない部分あるいはリルケの天才

  • レビュアー: さん
  • 本が好き!1級
さらにふたたび【Kindle】
プラハ生れのドイツ語詩人リルケの詩「さらにふたたび」を読む。

読むことにしたきっかけはネット掲示板5ちゃんねるの詩文学の板で、この詩のスレッド(リルケの詩について考察)を見つけたからだ。

めずらしいと思い読んでみると、堀辰雄の訳(本書)と同じ題で、次の投稿があった。
個人的に強く惹かれたのは、最後の部分だ。「さきのことはもう/だれも知らない」。
(名無しさん@お腹いっぱい。 2025/07/07)
あれっ、と思う。そんな部分あったっけ。

青空文庫版の堀辰雄訳「さらにふたたび」には、これはない。とすると一体?

評者にはこの謎は解けないが、推測すると、堀辰雄とたまたま同じ題で別の人が訳した別の箇所ではないか。

その別の箇所というのは、リルケが削除した連に、やや近いのがある。原文は

Dorten das Haus scheint uns noch immer erfreulich
unser nennen wirs im selben Gedanken, unser
könnte der Weg sein, unser die Bank; Rosen des Gartens
Winde der beginnenden Liebe schlagen das Herz auf
wo es sich nie noch aufschlug zwischen zwei älteren
Seiten (出典

となっていて、草稿(ノートブッック)にしかないはずだ。第1連が普遍的な愛の風景を描くのに対し、この未発表第2連は二人に関わる個人的内容(「[家や道やベンチは]我々のもの」[unser])である。

この連の最後の部分を「さきのことはもう/だれも知らない」と、訳した人がいるのだろうか。

ここは、心(Herz)を本に譬え、今までの二頁(zwei älteren / Seiten)の間でまだ一度も開いたことのない、そういう心のことを言っているように思えるが、確かに上のように訳すこともできるかもしれない。

ものすごく強力な暗喩がここにあるのに、未発表に終わったことは惜しいとしか言いようがない。

1連のみの現行版のままだと普遍的な「愛の風景」で完結はするのだろうけれど、題の「さらにふたたび」(Immer wieder)の〈ふたたび〉の真の意味は、この削除された連の「より以前の」(älteren)を読まないと分らないのではないか。

つまり、二人の心にはかつて愛が行間(頁間)に潜在したことがあり、それをふたたび空/天の下で顕現させようではないか、ということを詩の全体が表す。

それにしても、心が「開く」のと、本が「開く」のと、この二つの重ね合わせには唸らされる。しかも、その核心部分は実際には本の頁に書かれておらず、それは頁の間にしか存在しない何かなのだ。捉えがたい心のありようを表すのにこれ以上みごとな暗喩があろうか。天才詩人は、これほどの比喩でもボツにする。
  • 掲載日:2026/01/19
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