ぽんきちさん
レビュアー:
▼
人々の暮らしの隣にいた獣たち
初版1926年(当初は郷土研究社刊)といささか古い本である。
著者の早川孝太郎は1889年生まれの民俗学者。
愛知県出身。元々は画家を志し、日本画家の松岡映丘に師事していたが、映丘の兄、柳田国男の知己を得て民俗学を研究するようになったという。
故郷の三河周辺を中心に農山村の民俗研究を行い、著作には本書のほかに「三州横山記」や「花祭」がある。農山村の暮らしを描き、冷静で学術的でありながら、流麗でどこか郷愁を誘う文章である。芥川龍之介や島崎藤村もその文才を評価していたという。画家志望であった彼は、自らスケッチも付しており、素朴な味わいを添えている。
本作は、人々の暮らしと密接に関わりあっていた猪・鹿・狸の3種の動物を軸に、往時の里山、狩人、村々の様子が描き出されている。
猪の分布は西の方に多く、東北ではあまり多くはなかったらしい。地理的には、常陸あたりを境目にしてぐっと減っていたようだ。田畑を荒らす猪被害は昔からあったらしく、シシ除けに山住さん(ヤマイヌ(狼)を祀る神)のお守りを畔ごとに立てたりすることもあったそうだ。熊の胆が薬とされたことはよく知られるが、猪の臓腑も珍重されたのだそうで、万病に霊能があるとして、肉全部より胆の方が高く売れたりしたそうである。
狩人が千頭の猪を撃ったら塚を作って祀る例もあったが、また千頭狩ると千頭目で災いがあるとする伝承もあった。何だか怪談の百物語のようでもある。いずれにしろ、生涯に千頭というのがありえない数字ではなかったということだろう。
鹿もまた、身近な獣だった。だが本書初版の頃には近隣の山にはいなくなってしまったのだそうで、明治の頃に乱獲があったものだろうか。
ともかく、鹿が多かった時分には、農地を荒らすため、人々は狩人に頼んで退治してもらっていたのだそうだ。狩人が鹿を1頭背負って来たら、酒一升渡すのが決まりであった。
ありふれた獲物だったということか、当時は大概、どこの家にも鹿の角があった。フックのようにして、蓑や草履、手拭や足袋を引っ掛けるのが常だった。
鹿の皮で作ったタッツケ(山袴)は珍重されたそうである。
著者の地元の鳳来寺には光明皇后が鹿から生まれたという伝説があるという。別の伝説に浄瑠璃姫の話があり、これは長者が薬師如来に子種を求めたところ、如来が白鹿となって現れ、子種を授けたというものである。生まれた姫はたいそう美しかったが足の指が2つに裂けていたという。
歌舞伎や文楽に「妹背山婦女庭訓」という演目があるのだが(cf:文化デジタルライブラリー・妹背山婦女庭訓)、この中の蘇我入鹿誕生時のエピソードはこのあたりに端を発するようである。
狸の話はどことなく人間臭くてほほえましい。
狸寝入りというが、狸は死ぬ真似をしたものらしく、どんと一発鉄砲で打って、ころりと転がるから死んだものと思っていたら、次の瞬間にはすたこら逃げられたというような話がよくあったそうである。時には猟犬ですら騙されたというのだから相当なものだ。
狸の化け話というのはよくあるが、知恵がありつつどこか剽軽な印象があるところが、そうした話を多く生み出したものだろうか。
コックリさんというのが昭和の一時期流行ったが、かつてはコクリ(狐狗狸)とか西京鼠とか似たようなものがあったという。狸寄せというのもあり、目隠しをしたりして呪文を唱える。何度も唱えるうちに「狸が寄る」。要は被術者が神がかりのような状態になって質問に答えるようになるという。術を解くには犬の字を背中に書いて点をぴしゃんと強く打つが、これを怠ると近所の子供に取り憑いたりしたのだそうな。いや、昔からこういうのはあったのだな、というところである。
100年ほど前、早川が書き残した暮らし。その奥には、さらにその100年ほど前の暮らしや伝承が透けて見える。大正から明治、そして江戸期と遡っていくと、連綿と続く人々の営みや息遣いが感じられるようでもある。
獣が出てくる昔話が生まれる地盤は、こうした実体験の中の獣たちとの関わりにあったのだろうかとも思える。
著者の早川孝太郎は1889年生まれの民俗学者。
愛知県出身。元々は画家を志し、日本画家の松岡映丘に師事していたが、映丘の兄、柳田国男の知己を得て民俗学を研究するようになったという。
故郷の三河周辺を中心に農山村の民俗研究を行い、著作には本書のほかに「三州横山記」や「花祭」がある。農山村の暮らしを描き、冷静で学術的でありながら、流麗でどこか郷愁を誘う文章である。芥川龍之介や島崎藤村もその文才を評価していたという。画家志望であった彼は、自らスケッチも付しており、素朴な味わいを添えている。
本作は、人々の暮らしと密接に関わりあっていた猪・鹿・狸の3種の動物を軸に、往時の里山、狩人、村々の様子が描き出されている。
猪の分布は西の方に多く、東北ではあまり多くはなかったらしい。地理的には、常陸あたりを境目にしてぐっと減っていたようだ。田畑を荒らす猪被害は昔からあったらしく、シシ除けに山住さん(ヤマイヌ(狼)を祀る神)のお守りを畔ごとに立てたりすることもあったそうだ。熊の胆が薬とされたことはよく知られるが、猪の臓腑も珍重されたのだそうで、万病に霊能があるとして、肉全部より胆の方が高く売れたりしたそうである。
狩人が千頭の猪を撃ったら塚を作って祀る例もあったが、また千頭狩ると千頭目で災いがあるとする伝承もあった。何だか怪談の百物語のようでもある。いずれにしろ、生涯に千頭というのがありえない数字ではなかったということだろう。
鹿もまた、身近な獣だった。だが本書初版の頃には近隣の山にはいなくなってしまったのだそうで、明治の頃に乱獲があったものだろうか。
ともかく、鹿が多かった時分には、農地を荒らすため、人々は狩人に頼んで退治してもらっていたのだそうだ。狩人が鹿を1頭背負って来たら、酒一升渡すのが決まりであった。
ありふれた獲物だったということか、当時は大概、どこの家にも鹿の角があった。フックのようにして、蓑や草履、手拭や足袋を引っ掛けるのが常だった。
鹿の皮で作ったタッツケ(山袴)は珍重されたそうである。
著者の地元の鳳来寺には光明皇后が鹿から生まれたという伝説があるという。別の伝説に浄瑠璃姫の話があり、これは長者が薬師如来に子種を求めたところ、如来が白鹿となって現れ、子種を授けたというものである。生まれた姫はたいそう美しかったが足の指が2つに裂けていたという。
歌舞伎や文楽に「妹背山婦女庭訓」という演目があるのだが(cf:文化デジタルライブラリー・妹背山婦女庭訓)、この中の蘇我入鹿誕生時のエピソードはこのあたりに端を発するようである。
狸の話はどことなく人間臭くてほほえましい。
狸寝入りというが、狸は死ぬ真似をしたものらしく、どんと一発鉄砲で打って、ころりと転がるから死んだものと思っていたら、次の瞬間にはすたこら逃げられたというような話がよくあったそうである。時には猟犬ですら騙されたというのだから相当なものだ。
狸の化け話というのはよくあるが、知恵がありつつどこか剽軽な印象があるところが、そうした話を多く生み出したものだろうか。
コックリさんというのが昭和の一時期流行ったが、かつてはコクリ(狐狗狸)とか西京鼠とか似たようなものがあったという。狸寄せというのもあり、目隠しをしたりして呪文を唱える。何度も唱えるうちに「狸が寄る」。要は被術者が神がかりのような状態になって質問に答えるようになるという。術を解くには犬の字を背中に書いて点をぴしゃんと強く打つが、これを怠ると近所の子供に取り憑いたりしたのだそうな。いや、昔からこういうのはあったのだな、というところである。
100年ほど前、早川が書き残した暮らし。その奥には、さらにその100年ほど前の暮らしや伝承が透けて見える。大正から明治、そして江戸期と遡っていくと、連綿と続く人々の営みや息遣いが感じられるようでもある。
獣が出てくる昔話が生まれる地盤は、こうした実体験の中の獣たちとの関わりにあったのだろうかとも思える。
お気に入り度:





掲載日:
外部ブログURLが設定されていません
投票する
投票するには、ログインしてください。
分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)、ひよこ(ニワトリ化しつつある)4匹を飼っています。
*能はまったくの素人なのですが、「対訳でたのしむ」シリーズ(檜書店)で主な演目について学習してきました。既刊分は終了したので、続巻が出たらまた読もうと思います。それとは別に、もう少し能関連の本も読んでみたいと思っています。
この書評へのコメント
コメントするには、ログインしてください。
書評一覧を取得中。。。
- 出版社:講談社
- ページ数:195
- ISBN:9784061584006
- 発売日:1979年12月01日
- Amazonで買う
- カーリルで図書館の蔵書を調べる
- あなた
- この書籍の平均
- この書評
※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。