言わずと知れたクロフツの倒叙ものの古典的名作と評価の高い作品です。
私、この作品のことをよく知らなかった頃、てっきりアリバイ崩しものだと思い込んでいたことがあります。
何せ、
『樽』というアリバイ崩しの古典的名作を書いたクロフツの作品ですし、タイトルがいかにもアリバイ崩しっぽいものですから。
実は、私、丹念なアリバイ崩しものってそんなに好きじゃないこともあって、この作品は有名作ではあったのですが敬して遠ざけ、かなりの期間読まずにいたのですが、実はアリバイ崩しものではないので、私と同じような思い込みをしている方、違いますよ~。
本作は倒叙ものですから、事件に関してはかなり踏み込んで書いても大丈夫です。
主人公のチャールズは父親とおじが共同経営していた工場を引き継いで経営していました。
当初は順調に経営していたのですが、折からの不況のあおりで倒産寸前に追い込まれます。
おじは、かなりの収入を得て工場経営から引退したので相当な資産を持っています。
チャールズはおじが死ねばその資産を相続できる立場にあるのですが、おじが死ぬまでは工場はもちそうもありません。
おじに窮状を訴え、いずれ相続で受け取れる分の一部を前倒しして融通して欲しいと頼み込むのですが、頑固なおじは多少の援助はしてくれたもののそれ以上には助けてくれません。
他の融資先からも融資を断られ絶対絶命のピンチに陥ります。
このままではまずは従業員のリストラから始めなければなりませんが、従業員も優秀な者ばかりですし、彼らも苦しい生活を送っているのでそのことを考えるとリストラするのがしのびないのです。
また、チャールズはある女性に惚れこんでおり、その女性と結婚したいと考えているのですが、その女性はお金の苦労はしたくないと明言していますので、仮にチャールズの工場が倒産などということになればとても結婚を承諾してくれそうもありませんでした。
おじは、健康を損ねており、いずれは死ぬだろうとは思うのですが、それを少しだけ早めたとして何が悪い?
チャールズは、おじが食後に消化剤を必ず飲むことに目を付け、その消化剤の中に青酸カリ入りの消化剤そっくりに作った毒入り錠剤を混入させて殺害することを決意します。
問題は、青酸カリをどうやって入手するかです。
チャールズは工場に入れる新たな機械の下見をするという理由でロンドンへ行き、その際に顔を知られていない薬局で、変装等の工作をした上で何とか青酸カリを購入することに成功します。
そして、毒入り錠剤を作り、おじが愛飲している消化剤一瓶を買い、その量を適当に減らした上で偽の錠剤を一錠だけ混入し、おじの家で食事をした時にわざとワインを倒しておじの注意を引き、その隙に偽の消化剤とすり替えたのです。
いつおじが毒入りの錠剤を飲むかは分かりませんが、それほど時間を置かずともいずれ毒入り錠剤を飲むことは間違いありません。
その際のアリバイ作りのため、チャールズは3週間の船旅に出かけます。
チャールズの計画通り、おじは飛行機の中で毒入り消化剤を飲み、機中で死亡しました。
その後の検死審問でも、自殺との結論が出され、チャールズは罪を免れたと思われたのです。
ところが、おじの家の使用人が、チャールズが消化剤をすり替えたのを見ていたのでした。
使用人はこれをネタにチャールズをゆすり始めます。
なんとしてでも口を封じなければと考えたチャールズは、使用人に金を払うと言って深夜ボートハウスにおびき出し、撲殺した上で湖に死体を沈めました。
使用人は万一のことを考えて、チャールズが消化剤をすり替えたことを書いた手紙をおじの娘の夫に預けたと言っていたので、チャールズは犯行後使用人が持っていた鍵を使っておじの娘の夫の家に侵入し手紙を探しましたがどうやらそんな手紙は無さそうで、これは使用人のはったりだと判断します。
その際、多少の現金を見つけたので工作のためそれを盗み出しました。
その後、使用人の死体が湖から発見されたのですが、金が盗まれていたことから、使用人は賊が入って金を盗んだのに気付き、それを追ったところ逆に殺されたのではないかと考えられました。
この件でも、チャールズに疑いがかかることはなかったのです。
これですべてうまく行った……と思っていたところ、フレンチ警部が登場し、事件を洗い直し始め、その結果チャールズはおじと使用人を殺害したとして起訴され有罪判決を受けてしまうのです。
一体、チャールズの計画のどこが破綻したというのか?というのが本作のあらすじです。
倒叙ものですからネタばれにはならないと思いますが、この後、チャールズを有罪にした点についてかなり踏み込んで疑問を書きますので、読みたくない方は飛ばしてください。
フレンチ警部が丹念な捜査によってチャールズの犯行を暴き出した手腕はお見事と評価するのですが、この程度の証拠でチャールズが有罪になってしまうという点には強い違和感を感じました。
チャールズが犯人であるという検察側の立証の中核は、チャールズに青酸カリを売った薬局の主人の証言でした。
しかし、初めて会った客の顔を薄暗い店内で短時間見ただけでそれほど明確に記憶できるものでしょうか?
実際、弁護側の反対尋問により、薬局店主はその客の服装等についてまったくあやふやな記憶しかないことが明らかにされてしまいます。
しかも10週間も経った後に、チャールズがその時の客だと指摘したというけれど、その記憶は信用できるのか?と、弁護側は指摘します(きわめて真っ当な指摘だと思います)。
それだけでも薬局店主の証言の信用性は相当に減殺されていると思います。
検察側の立証の骨は、ほぼこの薬局店主の証言のみにかかっており、チャールズが青酸カリを偽名を使って買ったのは間違いなく、その青酸カリを何に使ったのか説明できない以上チャールズが犯人だと主張するのですが、きわめて雑な立証でしょう。
そもそもチャールズ側は青酸カリなど買っておらず、薬局店主の証言は信用できないと主張しているのですから、青酸カリの使い道について説明できなくても当然です(買っていないという主張なのですから)。
仮に百歩譲ってチャールズが偽名を使って青酸カリを買ったとしても、それを消化剤に混入したという証拠はありません。
犯行があった(と検察側が主張する)日、チャールズは大した用も無いのにおじを訪ねて夕食を共にしたのが怪しい。
その際に誰かがワインをこぼしたらしく、後におじの家の家政婦がテーブルクロスにワインの染みが残っているのを確認しているので、その際にすり替えが行われたと考えられると検察側は主張しますが、それは推測に過ぎず、その点に関する直接的な証拠は一切提出されません。
消化剤に毒物が混入されたという点も一つの推測であり、間違いなくそうだとまで言い切れるかという疑問が残る上、それができる人間はチャールズ以外にも何人もいます。
しかも、おじは写真を趣味にしており、その現像のために自宅に青酸カリを持っていたのですから青酸カリの入手は誰にだってできたのです(チャールズはそのことを知らなかったのでした)。
おじの家から発見された青酸カリの容器は埃まみれで、最近誰も触っていないと思われると後に説明が加えられていますが、もう一つ容器があった可能性だってあるでしょう?(おじが青酸カリをいつ、何個買ったのかは記録に残っているから容易に調べられるのにフレンチ警部も調べていません)。
即効性のある青酸カリを服用して死亡したのだから機内で飲んだのに相違なく、だとすれば粉末の青酸カリを機内に持ち込むための紙などの容器が必要なはずなのにそんな物は発見されていないから自殺ではないと検察側は主張しますが、オブラートで包んだり、カプセルに入れたりして持ち込むことは容易ですし(……それだったら解剖の際に体内からオブラートなどの残渣が発見されるか?オブラート程度だったら短時間でも溶けてしまうか?溶けなければ青酸カリが出てこないから溶けた?……あるいはこの当時はそういうものはまだ無かった?……ちなみにオブラートの発祥はキリスト教で用いられていた聖餅でこれに薬を包んで飲むことは相当昔から行われていたそうです。現在のようなやわらかいオブラートは1910年に発明され、1922年には大量生産されているそうなので、この作品が書かれた1934年にはあったでしょう。)、少なくともチャールズがやったように錠剤型の固形にすることはいくらでもできるでしょうに。
自殺説だってうまく否定できていないと思います。
動機の点も、確かにチャールズは金に困っていておじの遺産を当てにする立場にはありましたが、義弟も同様に金に困っていておじに援助を申し出ており、おじが死ねば自分の妻(おじの娘)も共同相続人にされていて、おじはそのことを公言していたのですから立場はチャールズと同じとも言えますし、その他、使用人たちにもそれなりの遺産が残されると明言されていたのですから、使用人たちだって動機がないとは言い切れません。
私にはこの程度の立証ではとてもチャールズを有罪にすることはできないと思えてなりませんでした。
フレンチ警部の推理についても、一応評価はするのですが、かなり思い込み捜査と言わざるを得ない面があることは否定できず、たまたまその推理がうまく当たったという面が強く、論理必然的にそれしかないという推理ではありません。
倒叙ものがまだそれほど多く書かれていなかった時代にこれだけの作品を書いたということは評価しますが、作品の質という点から見たとき、今読んだ時に、世に言われているほどの名作か?と言うと、私には少々疑問点がついてしまったのです。
読了時間メーター
□□□ 普通(1~2日あれば読める)
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