クローディアは歴史家だ。彼女は老齢で、病床についている。もうよくなることはない。
ここからクローディアの人生を振り返る。
文章は、三人称視点と一人称(クローディア)視点とが混ざりあい、ときには、同じ出来事を二つの文体で繰り返したりもする。また時系列が入り混じっていて、いったいいつの話だっただろうと、戸惑う。
時々、意識が混濁するクローディアの今を表しているように感じる。
思わせぶりな言葉や固有名詞が混ざるけれど、兄妹のこと、愛人のこと、子どものことなど、彼女の人生の全体像は、最初からすっかり見えているように思っていた。
はっきりものを言う彼女だから、彼女の人生は声に出して語られたものがすべて、と決めつけていた。彼女の周りの人々も、読者の私も。
あえて口をつぐんで語らなかったことに、最も大事なその人自身が潜んでいるかもしれなかったのに。
彼女は孤高の人だ。独立心があり、自信家。気位が高く、いじわるだ。凡庸さを見下して(わが子にさえも!)その態度を隠さない。
最後まで読んでも、実際に彼女のような人に会ったら、私はできるだけ距離を置きたい気持ちは変わらなかったけれど、その中身はずいぶん変わった。彼女は、類まれな孤高の人だ。
第二次大戦下には、通信員として従軍してエジプトにいた。
戦後、ロンドンにいた彼女は、思いがけない形でハンガリー動乱が身近なものになった。
その前後も、戦争、戦争、戦争、だ。
クローディアは「歴史は混乱--死と混乱と荒廃なのだ」といったが、それ以前に思い出すのは、彼女が十三歳の時のエピソード。
歴史の授業中に「(過去の時代のなかの)おおぜいの人々のがやがやとおしゃべりする声」が、彼女には聞こえていたこと。
歴史は戦争の連続だけれど、一方で、おおぜいの人々の声の重なりでもあるのだ。
病院のベッドで眠る彼女は、人生最後の「歴史」の本を書いているのかもしれない。
それは、どの時代のどの地域の(どの戦いの)物語でもなくて、自分自身の生涯の物語。
いま、老女クローディアは、過去から、いくつもの声を聞いている。
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