♠️イギリスで劇作家「シェーファー」といえば二人いる。一人はアンソニー・ジョシュア・シェーファー。ミステリ劇の名作『探偵スルース』やクリスティ映画の脚本を書いた。そしてもう一人はアンソニーより五分早く生まれた双子の兄ピーター・レヴィン・シェーファーだ。
本書はピーター・シェーファーの史実に基づく二つの戯曲のカップリング。スリリングな対立構造から人間の根源的な葛藤を浮き彫りにする。
♥️『ピサロ』The Royal Hunt of the Sun
豚小屋生まれの成り上がり冒険家にして老将軍、フランシスコ・ピサロは、ペルー征服の過酷な行軍の末、自らを太陽の子と称する王アタウアルパを生け捕りにする。アタウアルパは妾腹で、后の息子である兄を殺した簒奪者にして太陽の子。
年齢も、人種も、立場も、文化も違う二人の男は、私生児であること、己の力で権力を勝ち取った、はみ出し者であることで敵味方を超えたつながりを覚える。そんな二人の通訳として側に仕えた若き小姓マルティンは、年老いてから今際に在りし日の両雄の姿を回想し、悲しげに眺める。
『アマデウス』Amadeus
モーツァルトの死は自分の仕業だ!
モーツァルトの死後、32年が経過し老宮廷楽長サリエーリの衝撃的な告白は、風にのり世間へと流れていく。音楽の本場イタリアの小さな田舎町からウィーン宮廷楽長に任命されるまでになったサリエーリ。しかし、ザルツブルクから来た青年の書いた『十三管楽器のためのセレナーデ』を聴き、苦痛を味わうことになる。音楽の神の寵愛を得られなかった「凡人の聖なる守護者」は、アマデウス(神に愛される者)を抹殺し、神に復讐しようと画策する。
♦️『ピサロ』はまず伊丹十三の翻訳であることが目を引く。1985年初演時、伊丹映画の常連でピサロ役の山崎努の依頼で翻訳を引きたエピソードが面白い。そして、アタウアルパ役だった渡辺謙が35年の時を経てコロナ禍に今度はピサロを演じたのもエモい。帝国主義と宗教が結びついた時の醜悪さ、人種も世代も超えた二人の刹那の友情、本当に人間らしい生き方は何か、を考えさせる。
「一種の全体演劇として上演されることが望ましい」と書いてあるので、伊丹十三のような脳内再生できる人ならいざ知らず、活字だけでは鑑賞不十分。舞台でみたかった。
シェーファーがアメリカの演劇界で最も権威あるトニー賞最優秀戯曲賞を獲得したのは『エクウス』と『アマデウス』。ともに映画化され、シェーファーの代表作になっているが、抜群の知名度を誇るのはアカデミー賞作『アマデウス』だろう。
サリエーリも可哀想だが、この物語ではモーツァルトも可哀想なのだ。彼の楽曲を唯一理解できる凡人がサリエーリしかいないのに、人間力のない天才はそのサリエーリに「こんなの書けるのは、ぼくだけだ」とひけらかすから、サリエーリとの関係にますます罅がはいる。父親ともサリエーリとも、もっといい関係が築けたはずなのに哀れになる。
死後、その名も作品も忘れられたサリエーリ。
でもね、20世紀以降の映画好き人間はだいたいあなたの事をフィクションではあるが、知っています。捨てる音楽の神あれば、拾う芝居の神ありなのです。
日本では松本幸四郎(松本白鸚)が450回もサリエーリを演じてきた。1300回のラ・マンチャの男に隠れがちだが、松本幸四郎の当たり役。映画もいいが、やはり舞台を観てみたかったな。
♣️来年、織山尚大主演で『エクウス』の舞台があるみたい。翻訳はあるが手に入りにくいので是非とも『ピーター・シェーファーⅡ』にいれて欲しいところ。
『エクウス』は何かと話題になる演目だ。映画では馬小屋の全裸無修正。一昔前にはダニエル・ラドクリフがもろ出しでアランを演じてニュースになる。日本では劇団四季で何回か公演されたが、観劇した人の感想では前張りはしていたそうな。来年のもそうなるだろう。しかし、ダイサートを女性にするとは大胆。
(追記2025.11.24)
サリエリさん、あんたFGOのサーヴァントになってたのね!? 意外と有名やん。でもキャスターじゃなくてアサシン……。
この書評へのコメント