「新書大賞」という賞があるのですね。今年の受賞作とか。
雑にまとめてしまえば、高度経済成長期の長時間労働は、日本の読書文化を、結果的に大衆に解放したのである。(p.118)
このくだりに、「おおお~。なるほど!」と思いました。
1962年刊行、評論家・加藤周一の『頭の回転をよくする読書術』(光文社)は、「通勤電車限定の読書をしろ」と説いているそうです。
通勤電車の中で2時間を過ごすのが当たり前のこととして語られる時代の到来。
1960年当時の労働者一人あたりの平均労働時間は、2020年の1.5倍に相当するそうです(30人以上の事務所規模の従業員の平均労働時間、月に2426時間)。
「さらっと読めるサラリーマン小説」源氏鶏太、
ハウツーを説くカッパ・ブックスが登場し、盛んに読まれました。
そして、70年代には司馬遼太郎による「立身出世の物語」の文庫本が人気を博します。
司馬作品に挿入される「教養」70年代ビジネスマンに広く受容されるとともに、
大河ドラマの成功により、歴史小説が売れ行きを伸ばし(テレビの影響大!)、
オイルショックから立ち直ったことで、日本型雇用への自信を深めた時代。
ああ、ノスタルジー。
その後、
60〜70年代にはあったサラリーマンの間の教養主義の残り香は、80年代には消え去ることになる。労働に教養が貢献しなくなったからだ。
ああ、確かに。
70年代には存在した、進学できなかったという学歴コンプレックスから教養を求める労働者など、もういなくなったのでした。
80年代に売れたのは、『窓ぎわのトットちゃん』『ノルウェイの森』『サラダ記念品』といった「僕」と「私」の物語。読者の着眼点は、教養からコミュニケーションへと移っていきます。
そして、行動と経済の時代へ。
読書は常に,階級の差異を確認し、そして優越を示すための道具になりやすい。
教養を求めての読書がすたれた今、自己表現や自己啓発への欲望を、オンラインサロンを、エリート層が蔑視している、と著者は述べます。
今でも、ゲームに没頭して読書しなくなった恋人を軽蔑するというドラマのシーンがあるが、ここには読書が当たり前の家庭に育った彼女と、労働者階級の彼氏との階級差が表れているのだ、と。
あ、
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という疑問文の結論は?
乱暴な私の意訳(?)で書きます。(本、返却しちゃったので)
世の中が「本を読むより、仕事だぜ、私的空間の充実だぜ」という考え方に変わったから。ここらで「全身全霊で働く」を止めて、「半身労働社会」を目指そうよ~。
高度経済成長期は、仕事が忙しくても「上を目指すには読書が要るよね」という感覚があり、「通勤で読むのにいい本、じゃんじゃん出しまっせ」という出版業界の目論見もあって売れた。
まだまだ人口が増えていた間は、出版物の販売部数も増加したが、
グローバル化が進み、新自由主義、成果主義が世を闊歩するようになると、読まれる本が仕事に役立つ自己啓発本などにシフトし、人々は「もっとできるはず」と自身をあおって仕事に邁進。
仕事以外のものはすべてノイズと考える姿勢が一般的になった。
今、読まれているのは「断捨離」「我が家を整える」系の本。
これは「社会を変えようなんて考えず、自分の手の届く範囲を自分好みに作りあげよう」という発想に基づくもの。……社会を理解しようとした教養主義は遥かに遠い。
以上。
なかなか面白く読めました。
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