「数多の挫折者」を出してきたことで有名な
マルセル・プルーストの「
失われた時を求めて」、それも3000Pの超大作ながら初めの数十ページで大抵の人は脱落するという大変な「20世紀文学の金字塔」です。
前回
レビューした「第一篇 スワン家の方へ I 第一部 コンブレー」がその最初の部分に当たるわけですが、かく言う私も何度寝落ちしたか分からないほど、難解で韜晦に満ちた文章に苦しめられました。
これはこのまま漫然と文章を追っているだけではまた「挫折」してしまう、ということで手に取ったのがこのフランスコミックです。
バンド・デシネ漫画家
ステファヌ・ウエ氏が
35才の時にはじめて「失われた時を求めて」を読み、すぐにこの大長編のコミック化に着手した
作品だそうで、詳細な経緯は省きますが、本書には
第一篇 スワン家の方へ
第一部 コンブレー
第二部 スワンの恋
第三部 土地の名 - 名 -
が収められています。
いやあ、読み易い、分かりやすい、視覚化の効果は絶大、目から鱗が二枚も三枚も四枚も五枚も剥がれ落ちていきました。
まずは見開きのパリの絵が見事。
それに続いて、5Pに渡って描かれる登場人物のカメオ・イラスト。文字だけで追ってきたキャラクタに血肉が与えられ、これを眺めているだけでも楽しいです。バンドデシネの画風がいかにもフランス的でいいのですが、惜しむらくは美女があまり美女でない。「私」の初恋の人
ジルベルト、スワンの運命の恋人
オデットあたりはもうちょっと頑張ってほしかったかな。
閑話休題、第一部「
コンブレー」、この章の漫画化は感激ものです。「私」が眠れぬ夜に思い出す、あるいは紅茶に浸したマドレーヌから引き出される過去の記憶。特に少年時代のコンブレーで過ごした記憶。その記憶が鮮やかに視覚化されていきます。
漫画化にはイメージが固定されてしまうという危険性はありますが、
過度に知的で、抽象的で、観念的
で
人物や出来事の具体像が頭に浮かびにくい
プルーストの文章に具体的なイメージが与えられることの恩恵は計り知れません。
おまけに私のような日本人には知り得ない当時のフランスの風景・風俗を解説してもらえる。そこはやはりフランス人の描く絵に優るものはありませんね。
そして文章もプルースト特有の膨大な枝葉が取り払われすっきりとしています。
中条省平氏の訳文も、過去の翻訳版に敬意を表したもので秀逸。
コンブリーのレオニー叔母の邸宅
そこで見せてもらった幻灯
狂おしく待ち続けたママのおやすみのキス
富裕なユダヤ人ながら高級娼婦と結婚したことで敬遠されているスワン氏
レオニ叔母と使用人フランソワーズの面白いやり取りの数々
コンブレーの風景、教会、鐘楼
作家ベルゴットのことを教えてくれた友人、ユダヤ人ブロック
素晴らしい音楽家ヴァントゥイユ氏
ヴァントゥイユ氏を苦しめ彼の死後も唾棄すべき行為を行った同性愛者の娘
少年だった私を夕食に招いた、少年愛傾向のあるルグランタン氏
コンブレーの周辺の散歩、片やメゼグリーズの方、もう片方ゲルマントの方
メゼグリーズの方にあるスワン家のサンザシの香り
スワン家の庭で見初めた一人娘ジルベルト
父と祖父を顰蹙させるスワン夫人と愛人(?)シャルリュス
ゲルマントの方で一番の魅力、ヴィヴォンヌ川河畔の風景
行きつけなかったゲルマント公爵の城館
初めて目にしたゲルマント公爵夫人への憧憬
最後に提示される「私」が初めて創作した文章
これらがあの香気高い文章とともに提示されると、この第一部「コンブレー」の導入部としての役割がはっきりと理解できます。
続く第二部、「私」が生まれる前の出来事が三人称で語られる「
スワンの恋」、第三部、ノルマンディーの海辺の町バルベック、イタリア、そしてパリはシャンゼリゼ、ブローニュの森などが描写されるとともに、ジルベルトとの初恋が描かれる「
土地の名-名-」、ともに見どころ満載です。
とにかく本編を読み進めていくうえでの最高の副読本と言って過言ではない、素晴らしいコミックです。ただ、順番として本編を読んでからこの本を読まれることをお勧めします。そうでなくてはこの本の有難さが分からないと思います。
失われた時を求めて〈1〉~第一篇「スワン家のほうへI」~
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