アマンダの影

本作を読んで感じるのはオコンネルの人物描写の上手さである。デビュー第2作にして、新人作家にありがちなペラペラの書き割りではなく、登場人物がしっかりと陰影を持った人間として立ち上がってくる。
こんな無責任な本を出した著者と出版社の良識を疑う。
なぜ今これほどまでに英会話力が必要とされるのか(本書の内容紹介より引用)を議論する以前に、そもそもまともな議論の体を成していないということです。有り体に言ってしまえば、「素人がろくに調べもせず、思いつきと思い込みで書き連ねた文章を、誤字脱字の校正だけして出版した」というレベルのものでしかないのです。
二〇二〇年より、小学三年から週一回、五年からは週三回の本格的な英語の授業(P.4)を始めるという計画を、文科省がいつ、どのような文書で発表したのかすら記されていません。本書のきっかけとなったはずの施策の出典すら、読者に伝えられていないのです。
現在、英語検定でもセンター試験でも、英語を話す能力は求められません。(P.5)と述べていますが、実用英語技能検定(いわゆる英検)は3級以上で面接試験が課されており、英語を話す能力がなければ合格できないのはご承知のとおりです。
(文部科学省は)これまで多くの日本人が学んでは挫折してきた文法中心の「書いて読む英語」ではなく、実用的な「聞いて話す英語」へと方針を転換(P.18)
従来、日本での英語の授業には、文章をどのように言い換えて話すかという発想がありませんでした。英文を分解し、逐一日本語に訳して読むことを重視してきました。読解と文法理解だけに力を注いできたのです。(P.45)と述べていますが、文科省がいわゆる「コミュニケーション重視」の英語教育へと転換したのは1993年の学習指導要領からであり、今回の英語教育「改革」もその延長線上に過ぎません。これらの箇所を読んだ読者、特に英語教育に関する知識の乏しい読者が「これまで読み書きしか教えてこなかったのが、英会話の指導へがらっと変わる」と誤解することは想像に難くありません。
六年かけても話せない日本の現状(P.44)という節で次のように述べています。
約一千時間。また別の節では次のようにも述べています。
日本人が中学、高校で学ぶ英語の授業を合計すると、およそそれくらいの時間になります。
それなのに多くの日本人が全く英語を話せない状況です。(P.44)
日常会話の基本となる文章は、そんなに多くありません。何回も繰り返し復習することで体得します。(P.61)
It must also be kept in mind that students at FSI are almost 40 years old, are native speakers of English and have a good aptitude for formal language study, plus knowledge of several other foreign languages. They study in small classes of no more than six. Their schedule calls for 25 hours of class per week with three or four hours per day of directed self-study.
(拙訳:加えて注意しておかなければならないのは、外務職員局(FSI:Foreign Service Institute)の学習者は40歳前後であり、英語の母語話者であり、正規の言語教育を受けるための優れた適性があり、またその他複数の言語の知識を備えているということである。学習者は6名以下の少人数クラスで、週に25時間の講義を受けており、また一日3~4時間の自己学習を行っている)
《高望みをしているのではない、日常会話程度がこなせるようになればそれで十分だ》という話もよく耳にします。でも、「日常会話」というのはいったいなんでしょう。文字どおり解釈して、「日々の生活の中で他の人々と交わすことば」というのであれば、これはけっこう大変なことです。日本語の場合に置き換えてみると、よくわかると思います。日本語で「日常会話」を交わす。決して楽なことではありません。僕のこの書評も、平易な文体と言葉遣いで書いていますが、決して「ストックフレーズの使い回し」レベルのものではないということは、納得していただけることと思います。
「日常会話程度」という言い方が出てくるのは、「日常会話」というものを決まり文句程度に捉えているからだと思います。しかし、決まり文句だけでは「日常会話」もおぼつきません。逆に言えば、決まり文句だけで事足りてしまうような「日常会話」はごくつまらないものです。試しに、日本語で考えてみましょう。
雄二 やあ、おはよう。調子はどう?
淳子 まあまあね。雄二は?
雄二 まあまあだよ。じゃあね。
淳子 またね (PP.97-98)
同時に、十分な単語力も必要です。
基本的な英会話の例文を知っていても、単語を知らなければ言い換えて応用することができません。
応用ができなければ、相手の言うことも理解できません。
英語力は単語力だと言う人もいます。
単語を並べさえすれば、こちらの意思が相手に伝わるという意味です。(PP.61-62)
英単語だけしゃにむに覚えた男性が、単語とボディランゲージだけで世界中を旅して、無事に帰ってきたという話を聞いたことがあります。
つまり英会話の基本例文を身につけるより、数多くの単語を知っていることの方が圧倒的に有利だということでしょう。(P.178)
従来品には○○○という欠点があるという声が、以前から多く寄せられていました。そこで弊社は○○○の改善に着手し、ユーザーの皆様が使いやすい形態について、研究を重ねて参りました。その結果誕生したのが、今回ご紹介する新商品です。もしこの原稿を「単語を並べただけ」のものにしたら、どうなるでしょうか。
従来品、欠点、○○○、意見、たくさん。そこで、○○○の改善、使いやすい形態、研究を重ねた。その結果、この新商品、誕生した何が言いたいかは伝わるかもしれません。しかし、この程度の日本語力しか持たない人間がプレゼンをしていたら、聞いている人はふつう「この会社、大丈夫か……?」と心配になるでしょう。
また使える英語がスラングであったり、ただ単語を並べただけで文法的におかしいものであれば、企業の品格が問われます。(P.103)と述べているのです。一方で「文法的におかしい単語の羅列では信用されない」と言っておきながら、他方で「文法や例文を身につけるより単語を暗記すべき」と言うのは、主張の一貫性がないと判断せざるを得ません。
香港でも英語ブームが起きています。英語が公用語である地域以外の英語教育ブームについて出典がないのは相変わらずですが、さらに問題なのは、ここで取り上げられている香港やフィリピンなどの地域が、アメリカやイギリスの旧植民地であったことを見落としているということです。植民地では、自分たちの母語で学問や政治を行うことができず、宗主国の言語が出来なければ社会的な成功が叶わなかった。そういった歴史を踏まえずに、平気で「アジアに学べ」と言うのは、あまりに国際感覚が欠如していると言わざるを得ません。
香港に限らず、アジアの各地では、学習塾が盛んになり、特に英語塾の数が大変多くなっています。
フィリピンのマニラ近郊にある、クラーク米軍基地の跡地に韓国の学習塾が教室を開き、安い金額で英語環境での指導を行っていることも話題になっています。
英語が公用語であるフィリピン、インド、パキスタン、シンガポール、香港などの国や地域以外でも、英語教育はブームです。(P.190)
鳥飼 ……アウンサンスーチーさんがノーベル平和賞を受賞したときの演説は完璧なイギリス英語でした。すると、それを聞いたアメリカ人が「植民地だったことがよくわかるな」と言いました。日本は日本語さえできれば高等教育まで受けられる、世界でも希有な国です。そのことの有り難みを感じることなく、ただ「アジアに学べ」と唱え続けていれば、「日本語だけ話せても十分な教育を受けられない」という不幸な状況を自ら招くことになりかねません。
内田 そうですね。
鳥飼 あまりにもイギリス英語なので、「植民地だったことが透けて見える」と言って、「そうか。そういうことをすぐに感じるんだな」と思いました。
内田 植民地の悲しみは、宗主国の言語ができなければ出世できないし、うまかったら、「植民地の人なんだ」とわかってしまうことですね。
鳥飼 アジアで初めてノーベル文学賞を受賞したタゴールという文学者は、自分の書いた詩を自分で英語に訳して出版しましたが、晩年になって親しい友人に送った書簡を分析した研究によると、自分の詩を英語に訳したことについて自己嫌悪に陥っています。英訳では微妙に宗主国イギリスに擦り寄っているんですね。
「自分はベンガル語だけで書くべきだった。自分の言いたいことはベンガル語でしか言えないはずだったのに、英語で書いたことを悔いている」と書いている。そういう悲しみは、今の日本人にはね…。
内田 旧植民地の悲しみを日本人はわかっていませんね。日本人は、帝国主義的な植民地になった経験がないので、わからない。だから平気で「フィリピンの人はいいな、みんな英語ができて」というようなことを言う。
鳥飼 「インド人はいいな」と言います。
内田 アメリカがフィリピンを植民地化するために何十万人殺したのかも知らない。(P.124)


本作を読んで感じるのはオコンネルの人物描写の上手さである。デビュー第2作にして、新人作家にありがちなペラペラの書き割りではなく、登場人物がしっかりと陰影を持った人間として立ち上がってくる。

展覧会、美術館の舞台裏や支える人たち、普段は聞けない学芸員のおはなし。

16世紀に実際に起きた象のアルプス越えの話をノーベル賞作家サラマーゴが軽やかに、しかし人生に対する静かな諦念と、それでもなお生きる事への肯定を込めて描いた傑作。

心温まる、読んで元気がもらえる そんか森沢ワールドの物語

本が好き!デビュー15周年記念!?※さすがに15年日記はなかったので10年で代用させていただきました。レビューではないのでご投票いただくにはおよびませんが、コメントは歓迎しますw
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