「勝手にコラボ企画「カドフェス2018」を制覇するぜ!!」参加書評です。
これほどの著名作をわたしは読破していなかったのです。
家人から読破というほどの厚さでもないだろうとの言葉をうけ、
自らのふがいなさに気づきます。
はしがき、第一の手記、第二の手記、第三の手記、あとがきの五章です。
読み始めてすぐ、ああ、わたしはこの作品を読んだことがあると記憶が
呼びさまされました。小学校時代の第一の手記、旧制高校時代を書いた
第二の手記までで、わたしの記憶は閉じていきます。
なぜわたしは第三の手記に進まなかったのでしょう。
とくだん嫌気がさしたわけでもなく、ただ頁を閉じてしまったのです。
恥の多い書評を書いて来ました。
思いついたことを書き留めておく楽しさを知ってしまい、
読書量はさして多くないのに上から下から斜めから、ときには読み手におもねる
文章をしたため、書評で道化を演じてきたのです。
面白い書評ですねとのお世辞に内心ほくそえむ姿は、
美醜についての訓練を経てきたひとなら、ひとめ見てすぐ「なんて嫌な書評だ」と
すこぶる不快そうにつぶやく向きもあるでしょう。
そう、誰にとっても面白い書評なんて書けるはずがないのです。
たとえ合わないという人がいても、面白かったよと思ってくれる人がいたら
その書評は価値があるのです。誰かの心に届いたのですから。
それなのに。
わたしは人間失格の主人公の葉蔵を、なぜだか受け入れてしまうのです。
葉蔵が太宰治の人生を色濃く反映していることは明白です。
自分は異性にもてたことはないし、他人とぶつかっても意見をするので
タイプはまるで違います。
しかし、相手の顔色をみて気に入られようと道化をふるまうという一点に、
自分の中の一部を見透かされたような気持ちになるのです。
この野郎、キスしちゃうぞ。
ええ、わたしも言ってみたいものです。
そして太宰治みたいに、いいよ、してよと女性に返してもらいたいものです。
人間は他人に認められたい欲求があるのです。
狂人とみなされるまで追い求めた太宰の姿に、人間の本質を感じるのです。
あけすけな一冊でした。
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