小学校卒業の時に先生から性について教えられた母子家庭のモーリスは「ぼくは結婚しないと思います」と教師にきっぱりと否定してみせる。「男と女はすべて収まるべき所に収まる」先生の言うことは嘘っぱちだと思った彼は、この後男性を愛した時、常につきまとう闇を感じる。
また闇がせり上がってきた。それは原初の闇だったが、永遠には続かず、やがて痛みをともなう夜明けへとつながっていく
闇とは、社会の風潮から決して受け入れられず、隠しておくべきと自戒した性的嗜好のことか。その後帰宅して庭師の少年の退職を知り、知らず涙を流すモーリス。これが彼の初恋と失恋だった。
その頃からモーリスは夢を見る。
この友だちのためなら死んでもいい、この友だちが自分のために死ぬことも受け入れられる、と思う。互いのためにどんな犠牲も厭わない。まわりの世界はないに等しく、死も、地図上の距離も、不機嫌も、ふたりの仲を裂くことはできない。“これがぼくの友だち”だからだ。
夢見ていた相手が、やがて目の前に現れる。ケンブリッジ大学に入学したモーリスは、別の友人を訪ねて行き、偶々部屋にいた一学年上のクライヴと知り合う。その時モーリスが探していたレコード(後で二人で聴く)がチャイコフスキーというのも象徴的。
映画では“あっという間に心変わりしてモーリスを傷つけた悪い男”という印象が強かったが、第2部ではクライヴの生い立ちがまず語られ、キリスト教と自分の嗜好との間で悶々と悩んだ日々や、初対面の時モーリスに抱いた気持ちが描かれ、幾分彼への共感を誘われる。クライヴが告白し、後にモーリスが告白して拒絶されてからの寝室のモーリス、クライヴへの想いが消えないモーリスが彼の屋敷に滞在して夜窓を開け、「来い!」と叫んだ途端にある人物がやって来る場面など、小説ではやはり恋愛描写が美しい。社会と宗教と家族と法律、周り全てが同性愛を禁じる中で、自分を殺すに等しい想いとどう向き合って生きていくのかを、若者達が選び取っていく物語。
同性愛が犯罪と看做された時代、著者の死後に刊行。日本では映画公開により一大ブームが巻き起こる。
E・M・フォスター作品
インドへの道
この書評へのコメント