漱石の死の前年、1915年6月3日から9月14日まで、朝日新聞に掲載された。
「吾輩は猫である」執筆当時の私生活と自らの生い立ちを書いた、自伝的小説だという。
主人公の名は健三というが、その家庭は、猫が食客になっていた、まさしくあの家庭である。
猫を邪険にした愛想のない奥さんと、二人のやんちゃな女の子。
「道草」の作中に彼女らが現われたときは、あらまあ久しぶりと、声をかけたくなった。
「吾輩は猫である」は、美学者や哲学者や詩人が主人公の家に訪ねてきて、実生活にはさっぱり役に立たない芸術や哲学や文学を、口角泡を飛ばして論じ合い、ときには眉唾なうさんくさい話をして、読者を煙に巻く話だった。
浮世離れした話だから、主人公には珍野苦沙弥なんてふざけた名前がつけられていたし、彼の家にも「臥龍屈」なんて変な名前がつけられていた。
「道草」の健三の家に来る客は、彼の養父や、姉や義兄や実兄や義父。
昔はそれなりに羽振りがよかったが、いまは零落してお金に困っている人ばかりだ。
彼らは、一族の出世頭である健三に金の無心に来る。
健三を苦しめるのは、恩だの義理だの人情だの、切るに切れない世俗のしがらみだ。
苦沙弥と健三、二人合わせて夏目漱石なのである。
ずっと苦沙弥先生でいられたら漱石もしあわせだったのだろうに、この世で稼いで生きて行く社会人として、妻を抱き子を養う家庭の人として、文学や学問ばかりにかまけてはいられなかったということだろう。
奥さんについても、かなりのページを割いて書かれている。
特に仲睦まじいというわけではないが、悪くもない。
このぐらいなら、まあ普通だろうという夫婦だ。
明治という時代を考えると、奥さんが夫に対して、対等にモノをいってるので、感心する。
小学校の教育しか受けていないというが、頭のいい人なのだろう。
帝大出の健三相手に、理詰めで我を通すところは、あっぱれだと思う。
父としての健三は、けっして子煩悩とはいえないが、なりゆきで、三人目の子をとりあげることになってしまう。
夜中、寝ているときに奥さんが産気づき、産婆が間に合うわけもなく、つるりと産み落とされてしまった我が子を、無我夢中で綿でくるんでやった。
ふだんの仲がどうであれ、いざというときは、夫として父として、するべきことはちゃんとするのである。
金をせびりに来る養父と相対するとき、健三の脳裏に去来するのは、幼いころの思い出である。
子だくさんだった実父母からはやっかい者あつかいされ、養父母には打算で養われた。
妻や子に冷淡なのは、愛されたことのない生い立ちが影響しているのかもしれない。
この小説、どこかで猫が出てくるんじゃないか、せめて鳴き声が聞こえて来やしないかと、期待して読み進んだが、ついに猫の吾輩は、姿を現さなかった。
ああ、ここに猫がいたらなあと、何回思ったことか。
嫌な客と向き合う健三の膝の上に、夫婦で言い合う障子の陰に……
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