・歴史人物伝として
塙保己一という人物を、皆さんはご存じだろうか?
盲目の身であながら「群書類従」の編纂という一大事業を成し遂げた人である。
かく言う自分も、この程度の知識しかないのではあるが…
では「群書類従」とは何か?国史、国学関係の叢書と表現される。じゃあ、叢書とは何だろうか?辞書的には、多くの書物を集大成したものだという。
現代風に言うとさしずめ、一人で国文学関係の書物を集めたウイキペディアを作ってしまった人というところか?
曲がりなりにも本好きを自認する身としては、国文関係の叢書と聞くだけで、心が浮き立つものである。(実際に読んだことはないが…)
こういう本を読むといつも思うところではあるが、白黒の静止画であった塙保己一という人物像が、生き生きと色づき、動画になるように感じる。
・近代以前の視覚障害者の物語として
保己一は江戸に出てきて当道座という盲人の自治組織に所属することになる。そこで、按摩、針などの技術を身につけ、自活できるようにするのだが、同時に金貸し業なども行っており、幕府からの庇護もあるため、かなりあくどい貸金の取り立てなども行っていたようだ。
視覚障害に限らず、いわゆる障碍者のリアルな側面というのは、なかなか目に触れることはなく、小説の形で追体験できるのは、面白いというと語弊があるが、勉強になる。
・天才と凡人、才能の物語
塙保己一は抜群の記憶力をもった一種の天才である。
この物語で重要な登場人物の一人に保己一の幼馴染の輝明がいる。
ネタバレになってしまうが、この輝明は「アマデウス」におけるサリエリだ。
誰よりも保己一の才に嫉妬し、そして誰よりも保己一のことを「見つめ」続けた人だ。
・「見えるもの」「見えないもの」「見ていると思っていたもの」
本書には少し面白い仕掛けがある。
以下に挙げるのは本書の章題であるが、ひらがなの部分に二種類の漢字があてられている。
第一章 むしの子
第二章 えんていの水
第三章 すでに触れて
第四章 はんぎ、蔵にて
第五章 どうしゅうの人
第六章 眩くて眩む
最終第六章は別にして、そのほかの各章には二つの意味が込められている。
実際どんな意味なのかは本書を読んでいただくとして、この2重の意味というのが本書の最大のテーマであろうと思う。
狭義には盲人には「見えないもの」あるいは盲人だからこそ「見えているもの」
広義には私たち自身にも当てはまる、「見えていると思っているもの」しかし実際には「見えていなかったもの」
この物語は、誰でも一つや二つ経験することのある「すれ違い」の物語でもあるのだ。
蛇足
併せて読めば面白いかも
マイノリティの世界を知るために
森奈津子「耽美なわしら」早川書房
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