買った心当たりのない本が何食わぬ顔で本棚に収まっているのを目に留めて、はてなと小首をかしげたことがありますか?記憶喪失かなあ、私ボケちゃったんだ、とか悲観する必要はありません。與次郎さんはこう言ってますから。
あんまり知られてはおらんが、本にも雄と雌がある。であるからには当然、人目を忍んで逢瀬を重ね、ときには書物の身空でページをからめて房事にも励もうし、果ては跡継ぎをこしらえる。
蔵書家の一家の物語。大正三年生まれの與次郎と大正六年生まれのミキ夫婦を中心に、明治からまだ見ぬ未来へと濃厚かつ饒舌に語られていくのだが、決して周りに人のいる所では読まない方がいいです。とにかく笑っちゃうから。その笑わせ方ってのが曲者で、作者の広げる大風呂敷に深い教養がうかがえるところ、ちょっと万城目学氏や森見登美彦氏の作品を思わせます。文学、雑学の知識の広さ、そして寄席の前座なんぞ裸足で逃げる語りのセンスの良さ、もう読みだしたら止められない。
いったいどんな話かって?この作品を要約することは至難の技。読んで笑ってるうちに「これは作り話なのか、もしかしたらホントにあったことなんではなかろうか。」と思ってしまいます。さっきまで大阪弁のおっちゃんの思い出話にへらへら笑っていたはずなのに、いつの間に遥かな銀河を仰ぎみている気持になる、そんな物語です。ああ、私は関西落語を聴いていたのか幻想文学を読んでいたのか。しかし、その世界を心地よく漂っていたことは確か。
壮大に広げまくった物語、感動的なのはその折りたたみ方です。終盤、作者の筆は冴え渡ります。登場人物と今までのエピソードが見事に絡まり合い、夫婦愛、親子の愛、そして書物への愛を歌い上げるのです。それはもう圧倒されるというか、「巻を措く能わず」というしかありません。
私、いつかこの世にさよならする時は、ささやかな人生を記した一冊の本になり、白い光とともに空の彼方に飛び去りたい。そして何処とも知れぬラディナヘラ幻想図書館の本棚に収まり、読んでくれる人が現われるまでじっと待っています。(隣に素敵な雄の本がいますように!)
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