2022年に、柴田錬三郎賞と中央公論文芸賞のダブル受賞をしている作品。
物語の主人公は俺。物語は俺の一人称で展開してゆく。
俺は、一年限りのある武家屋敷に勤務、毎年契約更新を重ね、すでに40歳を超えている。
この武家屋敷の主が隠居して、主が手をつけたお芳という下女を宿下がりにする。
宿下がりというのは馘首。それで故郷の実家に戻ること。
俺は、お芳の故郷相模に、同じ下女のお信とともにお芳の同行を命ぜられる。
その帰りの途中で泊まった宿で、俺はお芳の突き出した匕首に刺され傷をおう。お芳は直ちにその場から消えどこかへ行ってしまう。
刺された俺は、たまたま腕のいい医者により、死から免れる。
このままではお芳は、殺人と不義の罪により、死罪は免れられない。それは、あまりに痛ましい。俺はお芳を探し出し、死んではいないことを知ってもらわねばならない。
しかし全く土地勘もないし、探すといったってどうしてよいか途方にくれる。
実家に帰っても、実家では養えないし、結局お芳はまた実家をでるしかない。そうなれば、お芳は女郎屋に行きつくしかない。
そうなると、お芳の帰路途中にある入江町の女郎部屋が有力となる。そこは、入り組んで41もの小路があり、その小路にそって女郎部屋がある。その41の小路の入り口で見番をしているのが銀次。何しろこの入江町にいる女郎は1300人。全部調べるにはとんでもない労力がかかる。銀次は、俺のお芳捜しについて、知恵をかし、協力を惜しまずしてくれる。銀次の忠告で、俺は損料屋になる。江戸時代の引っ越しは、荷車で運ぶから、大量の家具やら夜具など運べない。それで、家財道具や夜具を貸し出す商売、損料屋ができる。これなら、41もある女郎部屋の出入りができるし、女郎新規加入も引退者も把握できる。
それから、江戸時代で貧乏な家の人たちは、殆どが文盲。何か書置きしても、それを読めない人ばかり。こんな目からうろこの内容を盛り込み、中身は非常に濃い。
そして最後は驚愕の結果で終わる。2つの文学賞同時受賞にふさわしい作品だった。
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