もうずいぶん前のことで、著者の名前も忘れてしまったが、フェミニズムの視点からの「智恵子抄」批判のような文章を読んだことがある。智恵子が精神を病んでしまったのは、女性を抑圧する家父長制のせい―― というような論調だった。それはそれでずいぶんわかりやすく、当時まだ若かったわたしは、そうだそうだと、おおいに納得したものだった。
「智恵子飛ぶ」を手に取ったとき、わたしは、あとがきから先に読んだ。
作者がどういう視座から高村智恵子という人を見ようとしているか、知りたかったから。
作者の津村節子は、吉村昭と結婚している。
作家どうしの夫婦である。
光太郎と智恵子は、画家どうしの夫婦だ。
作家も画家も、才能を必要とする職業である。
津村節子は、あとがきに書いている。
二人の力が拮抗していれば、最も身近にライヴァルを置くことになる。不均衡であれば、力ある者は無意識のうちに、力弱き者を圧してしまう。
才薄き者は、相手の才能に尊敬を抱けば抱くほど、自分の能力に対する絶望感や屈辱感が深まり、充たし得ない創作の意欲は、重く心に貯め込まれてゆく。
少女のころに、「智恵子抄」に感銘を受け、「たぐいまれな愛と信頼と尊敬に貫かれた男女の共棲のかたちに」に憧れと羨望をおぼえたという著者。
作家どうしの結婚生活の経験を経て著す高村智恵子像とは――
智恵子は、福島の造り酒屋の二男六女の長女として生まれた。
実家は、旧家ではないが裕福だった。
温厚で人柄の良い父と、家柄や血筋にコンプレックスを持つ母と。
才色兼備の智恵子は、両親の自慢の娘だった。
智恵子は優秀な成績で福島高等女学校を卒業した。
早く良縁を得て結婚させようとする両親の反対を押し切って、東京の日本女子大学校に進学する。
このとき、智恵子の人生の歯車が、大きく音を立てて狂った。
両親の反対に屈して福島にとどまっていたら、西洋画に魅せられることも、光太郎に出会うこともなかっただろうから。その後の実家の没落と崩壊さえ、もしかしたら、少しはましな形でくいとめられていたかもしれない。
ともあれ、智恵子は東京に出た。
青鞜社の「新しい女」たちと交流を持ち、
西洋画に魅せられ、
光太郎と出会い、恋に落ちた。
大恋愛の末に、智恵子と光太郎は結ばれた。
入籍しない事実婚。子どもを持たず、それぞれが芸術の高みを目指して精進する。
光太郎は、智恵子に妻としての役割も、嫁としてのつとめも求めなかった。
それは、女を夫や家の隷属から解放する素晴らしい思想のようにも思える。
しかし、実ところは、光太郎は家庭を築き、”家長”になる覚悟から逃げていたのかもしれない。理想主義者で、現実を見る勇気がなかったのかもしれない。
自分には画の才能がないと思い知ったとき、智恵子は光太郎のごくふつうの妻になりたいと思ったのではないか。子を産んで母として生きたいと思ったのではないか。
しかし、平凡な妻であり母であることは、光太郎の理想の智恵子像ではなかった。
光太郎ほどの才能はない、ふつうの妻にも母にもなれない。
智恵子は、苦しみの中に沈む。
裕福だった実家の没落と崩壊も智恵子を絶望させた。
病弱だった智恵子は、精神をも病んでしまう。
光太郎は狂った智恵子を献身的に看護する中で、自分が智恵子を追い詰めていたことに気づく。
光太郎の理想主義は、智恵子を追い詰め苦しめた。
しかし、光太郎の愛に錯誤と独善があったとしても、
智恵子は光太郎を愛し、光太郎に深く愛された。
智恵子は、仕合せではなかったかもしれないが、幸せだった。
わたしは、そう思った。
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