「ちょっとフットワークが軽くて、ちょっと内視鏡がうまいだけの、どこにでもいる偽善者タイプの医者じゃない」――。
壮絶な過去を持つ同僚医師からの指摘に影響を受け、主人公・栗原一止は巨大組織である大学病院での勤務を決意します。
本作では、これまでのシリーズで培われた「良い医師とは何か」という問いが、より複雑な社会的背景の中で掘り下げられています。巨大な大学病院という組織の中で、個々の医師がいかに自らの倫理観を守り、患者に最善を尽くせるか。それが本作の大きなテーマです。物語は主に以下の二つの軸で展開されます。
①「組織」と「個人」の対立
大学病院のリソース(病床や設備)を「一個のパン」に例え、「確実に生き延びる者にのみ与えるべきだ」と効率を説く准教授。それに対し、主人公が「パンの話はもう結構です。私は患者の話がしたいのです」と切り返す場面は圧巻です。医学的な「効率」や「生存率」という数字の計算ではなく、「目の前の人間がどう生きたいと願い、どう死を迎えたいと考えているか」。その願いを少しでも実現させることこそが医療の核心であると訴える姿には、深く胸を打たれます。
地域医療で「寄り添う医療」を貫いてきた主人公が、効率と研究を重んじる「大学病院」という壁にぶつかりながらも、信念を曲げずに突き進む姿は、読むたびに私に勇気を与えてくれます。
②「救うこと」と「寄り添うこと」の困難さ
29歳で末期の膵臓癌を患い、「自宅で家族と過ごしたい」と切望する女性に対し、大学病院側はガイドラインを盾に退院を認めようとしません。形式的な対応を繰り返すケースワーカーに対し、憤りのあまり「バカ野郎」と暴言を吐いてしまった後輩医師。
そんな彼に頭から水をかけ、「相手が本当にバカであっても、バカと言ってしまうのは品がない」と諭しながら、自らも憤りを抱えつつ冷静に対応する主人公の姿は、何度読んでも胸に迫る格好良さがあります。
治療困難な患者の願いを叶えるべく奔走しながらも、結局は救うことができず、馴染みの居酒屋で独り回想にふける場面。そこには「救うこと」と「寄り添うこと」の両立が極めて困難であるという、医療現場の過酷な現実が描かれています。「不思議と涙も出なかった」という一節からは、感情を涙として放出するのではなく、彼女の死の重みをそのまま自分の中に沈殿させているような主人公の心情が伝わり、非常に印象深いシーンとなっていました。
まとめ
自らの信念(価値観・倫理観)に基づき、真摯に仕事に打ち込む主人公の姿は、「良い医師」の理想像を提示しているだけではありません。医師ではありませんが、人と関わる仕事に就いている私にとっても、大切な「道標」となっています。本作は、秀逸な物語であると同時に、人として、職業人として何を忘れてはいけないかを訴え続けてくれる一冊です。
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