休蔵さん
レビュアー:
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法政大学の総長である田中優子と編集工学者の松岡正剛が、日本を題材にあれこれ交わした問答集の第二弾。多角的な問答のなかで、「学び」について考えることになった。
法政大学の総長、田中優子と編集工学者の松岡正剛が、日本を題材にあれこれ交わした問答集の第二弾目。
日本について論じ合った『日本問答』の次は、江戸時代を対象とする。。
問答のなかでいくつか気になる点があったが、今回は特に学ぶということをピックアップしたい。
学歴社会の良し悪しに関する議論は尽きることがない。
特に就職活動において露呈しがちなこの問題。
綺麗ごとを言えば、学ぶことと学歴を積むことは別問題で、勉学はそんなことのためにするもんじゃない!と叱り飛ばして終わりなのかもしれない。
でも、実際のところ、所属大学に応じて職の門戸は異なってくる。
それは厳然たる事実のようで、メールのタイトルでそれがあからさまに示された令和三年。
学歴フィルターという言葉がニュースを一瞬だけど賑わせた。
今の日本、学びには明確な目的が必要ということか。
とは言え、好きだから学ぶという人たちも多いことも事実のようだが。
江戸時代の学びはどうか。
議論しあった二人は幕末から明治に転換する時代に学びそのものを理解することが大切と説く。
そもそも、明治維新そのものが江戸時代の学びの延長にあるからだそうだ。
そして、当時の人たちの多くは、純粋な楽しみのための物事を学んでいたという。
それは外国語にしても言えるとのこと。
げっそりしながら英語と付き合ってきた学生時代、卒業とともに英語は忘却の彼方に追いやってしまった社会人の今。
受験のため、就職のため、昇進のため、資格取得のためなどなど、様々な理由が英語学習を強いてきた。
江戸時代には、俳諧がおもしろいとか虫を飼うのがおもしろいとかと同じレベルで外国語なるもの、つまりは未知なるものを学ぶことに楽しみを見出していたというのだ。
身分が明確なのに、役割という観点からみると、不思議なほど自由な面も江戸時代にはあったようだ。
吉田松陰は8歳のときから藩の明倫館で講義をしており、満10歳とか満14歳には藩主に講義をしていたという。
できるならやらせてみようという軽さがあったのではということだが、今ではあり得ない。
役割という意味で言うと、今の方がよほどガチガチなのかもしれない。
なんだかんだ言って年功序列は生き続いている。
業務内容を理解していない、勤務期間の長い新参上司が、知った顔で偉そうに振舞う。
そういう役割だから。
身分制度がなくなり、役割制度ががっちりと組み込まれてしまったのが現代社会のようだ。
だからこそ、役割の階段を上げる手段として学びが位置付けられがちなのかもしれない。
学びの本源は好奇心だと思う。
自分が興味を抱いたものを、もっと知りたいと思う気持ちが学びへと駆り立てる。
役割の階段を上がるためでは決してないはず。
これは綺麗ごとだとは思う。
それでも「本が好き」のような場に多くの書評が寄せられ、それを読む人たちもまた多い。
江戸時代の学びに通ずる行為と言えようか。
学歴フィルターは、簡単には解消しないかもしれないし、それを是とする意見もなくなることなないはず。
一定のルールで戦う以上は、ある程度のフィルターは当然という意見もあるだろう。
その考えも納得できるところはある。
ただ、目的を持って強いて勉める学びではなく、好奇心に従う学びも大事にする世の中であって欲しいと思う。
田中優子は受験の予備校とは異なる、私塾の拡大を説く。
年齢を問わない、学校制度とは異なる「学びの場」の創出である。
好奇心が参加資格だ。
日本について論じ合った『日本問答』の次は、江戸時代を対象とする。。
問答のなかでいくつか気になる点があったが、今回は特に学ぶということをピックアップしたい。
学歴社会の良し悪しに関する議論は尽きることがない。
特に就職活動において露呈しがちなこの問題。
綺麗ごとを言えば、学ぶことと学歴を積むことは別問題で、勉学はそんなことのためにするもんじゃない!と叱り飛ばして終わりなのかもしれない。
でも、実際のところ、所属大学に応じて職の門戸は異なってくる。
それは厳然たる事実のようで、メールのタイトルでそれがあからさまに示された令和三年。
学歴フィルターという言葉がニュースを一瞬だけど賑わせた。
今の日本、学びには明確な目的が必要ということか。
とは言え、好きだから学ぶという人たちも多いことも事実のようだが。
江戸時代の学びはどうか。
議論しあった二人は幕末から明治に転換する時代に学びそのものを理解することが大切と説く。
そもそも、明治維新そのものが江戸時代の学びの延長にあるからだそうだ。
そして、当時の人たちの多くは、純粋な楽しみのための物事を学んでいたという。
それは外国語にしても言えるとのこと。
げっそりしながら英語と付き合ってきた学生時代、卒業とともに英語は忘却の彼方に追いやってしまった社会人の今。
受験のため、就職のため、昇進のため、資格取得のためなどなど、様々な理由が英語学習を強いてきた。
江戸時代には、俳諧がおもしろいとか虫を飼うのがおもしろいとかと同じレベルで外国語なるもの、つまりは未知なるものを学ぶことに楽しみを見出していたというのだ。
身分が明確なのに、役割という観点からみると、不思議なほど自由な面も江戸時代にはあったようだ。
吉田松陰は8歳のときから藩の明倫館で講義をしており、満10歳とか満14歳には藩主に講義をしていたという。
できるならやらせてみようという軽さがあったのではということだが、今ではあり得ない。
役割という意味で言うと、今の方がよほどガチガチなのかもしれない。
なんだかんだ言って年功序列は生き続いている。
業務内容を理解していない、勤務期間の長い新参上司が、知った顔で偉そうに振舞う。
そういう役割だから。
身分制度がなくなり、役割制度ががっちりと組み込まれてしまったのが現代社会のようだ。
だからこそ、役割の階段を上げる手段として学びが位置付けられがちなのかもしれない。
学びの本源は好奇心だと思う。
自分が興味を抱いたものを、もっと知りたいと思う気持ちが学びへと駆り立てる。
役割の階段を上がるためでは決してないはず。
これは綺麗ごとだとは思う。
それでも「本が好き」のような場に多くの書評が寄せられ、それを読む人たちもまた多い。
江戸時代の学びに通ずる行為と言えようか。
学歴フィルターは、簡単には解消しないかもしれないし、それを是とする意見もなくなることなないはず。
一定のルールで戦う以上は、ある程度のフィルターは当然という意見もあるだろう。
その考えも納得できるところはある。
ただ、目的を持って強いて勉める学びではなく、好奇心に従う学びも大事にする世の中であって欲しいと思う。
田中優子は受験の予備校とは異なる、私塾の拡大を説く。
年齢を問わない、学校制度とは異なる「学びの場」の創出である。
好奇心が参加資格だ。
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ここに参加するようになって、読書の幅が広がったように思います。
それでも、まだ偏り気味。
いろんな人の書評を参考に、もっと幅広い読書を楽しみたい!
この書評へのコメント
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- 出版社:岩波書店
- ページ数:0
- ISBN:9784004318637
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