恥ずかしながら、上杉鷹山(治憲)の名前は知っていたけど、何をした人か、詳しいことは知らなかった。「伝国の辞」は鷹山が代を譲る際、新藩主に心得として示した三条。
一、国家(米沢藩)は、先祖から子孫に伝えられるもので、決して私すべきものではないこと
一、人民は国家に属するもので、決して私してはならないこと
一、国家人民のために立ちたる君(藩主)であって、君のために人民があるのではないこと
内村鑑三の小説の英訳をJ.F.ケネディが読んだらしく、鷹山の名を出して尊敬する日本人と名を挙げた。しかし聞いた日本人記者は誰のことか分からなかったとか。
九州の三万石の小大名だった治憲は、養子縁組で米沢藩の藩主となる。米沢藩は財政破綻の危機に陥っていた。治憲は藩政のために直言しすぎて冷や飯を食わされている者を集め、改革案を作らせるー。
やがて虚礼やしきたり、行事の中止、廃止、倹約などを旨とした改革案が出来上がる。さらに治憲は、鯉を養殖し、紅花、桑などを栽培、また地元ならではの名産物を育てるなど、新たな産業を考え出す。武士やその家族にも働くことを奨励した。
しかし従来の政策、しきたりを重んじる藩の重役たちが反発、米沢を知らない養子藩主ということもあり、改革をあからさまに妨害しようとし、遂には七家騒動と呼ばれる造反劇に発展する。
上記のように、治憲は藩民のためにこそ政治があるとして、武士を戒めた。武士の既得権益が定着している江戸中期、全国でも珍しい方針だったという。また、田沼意次の賄賂政治から松平定信の寛政の改革の時期とかぶるのも面白い。柔軟性と徳があった治憲に比べ、節約倹約だけを旨とした厳しい改革はうまくいかなかった。
途中ジンとさせられた場面もあった。最初はやはり急激すぎてうまくいかないかも、と読んでて思ったが、治憲のガマン、柔らかさ、必要なことを生み出していく強さ、人間力には感嘆した。
童門冬二さんは東京都知事秘書などを歴任した方で、治憲の政策を何度も現代のビジネスになぞらえたまとめをしているので、分かりやすく、活力をもらえるように感じた。
少し冗長で、どこが芯なのかよくわからない部分もいくつかあった。正直。でも、改革とつきあうならとことん。厳しい局面も、うまくいかないことも、危機もあるというのは説得力がある。掛け声だけでは、ということかなと。
示唆に富んでいて楽しく読めました。
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