第35代大統領J・F・ケネディが大統領に就任した際、「最も尊敬する指導者は誰か」と問われ、「YOUZAN UESUGI(上杉鷹山)」と回答しました。同席した日本人記者の大半が彼の存在を知らず、多くの日本人もケネディの言葉を通してその存在を知ることになったという話はあまりにも有名です。ケネディは内村鑑三著の『代表的日本人』(英訳)を通じ、鷹山の政治姿勢に深い感銘を受けたといいます。
世界最強国のリーダーを虜にしたこの江戸時代の藩主は、一体どのような人物だったのでしょうか。童門冬二氏が描く本書は、その驚くべき「再生」のドラマを鮮やかに描き出しています。
1. どん底からの再建:歳出削減と殖産興業
鷹山が養子として迎えられた米沢藩は、当時、巨額の借財で財政破綻の危機にありました。
鷹山が挑んだのは、徹底した「歳出削減」と、未来を切り拓く「殖産興業」の二段構えです。
• 率先垂範の倹約: 自らの生活費を7分の1に削り、一汁一菜を貫く。その徹底した姿が、冷え切っていた藩士や領民の心を揺さぶり始めます。
• 技術への投資: 削るだけではなく、織物技術者などを高給で招き、新たな産業を創出。この「税収アップ」の戦略が、貧しい農村を豊かな工業の町へと変容させました。
2. 孤独な戦いと「辛抱」の変革
改革には強烈な反発が付きものです。守旧派の重臣たちによる嫌がらせや抵抗は苛烈を極めましたが、鷹山は決して力でねじ伏せようとはしませんでした。
彼は、少しずつ、丁寧に賛同者を増やしていく手法を選びます。身分の垣根を超え、武士やその家族にも農地開墾や養蚕を奨励するその姿勢は、当時の常識を打ち破るものでした。「冷たい石を体温で温める」ような、粘り強い忍耐の物語がそこにあります。
3. 「人づくり」という究極のゴール
鷹山の改革の最終目的地は、単なる財政再建ではありませんでした。彼は藩校「興譲館(こうじょうかん)」を設立し、身分を問わず学べる体制を整え、「人づくり」に心血を注ぎました。
その根本にあったのは、生涯の師と仰いだ細井平洲(ほそい へいしゅう)の教えです。師の言葉を忠実に実行し、慈愛と正義を重んじる「仁政」を貫いたことこそが、米沢藩を真の復興へと導いたのです。
結び:今こそ読まれるべき「なせば成る」の真実
「なせば成る、なさねば成らぬ何事も」
この言葉は、単なる根性論ではありません。一人のリーダーが至誠(まごころ)を尽くし、組織の末端までその熱を伝えた結果生まれた、魂の叫びです。
閉塞感の漂う現代、組織や社会の壁に突き当たっているすべての人に、ケネディが愛した「YOUZAN」の生き様は、時を超えて勇気を与えてくれるはずです。
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