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「パトリシア・ハイスミスは不安を描く天才よね。彼女は私に恐怖と不安は別物だと教えてくれたわ」 映画『パーフェクト・デイズ』で、役所広司演じる主人公が古本屋でこの本を買った時に店主が言う台詞です。

  • レビュアー: さん
  • 本が好き!1級
11の物語
ヴィム・ヴェンダーズ監督の『パーフェクト・デイズ』(2023年)は、久しぶりに観た、実に映画らしい映画でした。その中でこの『11の物語』(1970年)、なかんずく『すっぽん』の内容がちょっとした役割を演じており、久しぶりに手にとってみました。例によって、特に印象的な作品を紹介します。ただし、『パーフェクト・デイズ』に登場する古本屋の女店主が言うように、「「パトリシア・ハイスミスは不安を描く天才」であり、「恐怖と不安は別物」だとするなら、恐怖はストーリーに連結するものの、不安がストーリーに連結するとは限りませんから、ストーリーを細かく紹介しても、作品の本質からは外れていってしまうような気がします。ですから、ストーリーは簡略に紹介するにとどめます。どんな本であれ、読んでもらうに越したことはないのですが、ハイスミスの場合は、それが顕著のようです。


●『かたつむり観察者』

「食用かたつむりを観察するという趣味を持ちはじめたとき、ピーター・ノッパードは一握りのかたつむりがアッという間に何百という数に増えようなどとは夢にも思わなかった。何匹かのかたつむりを書斎に持ってあがってからたった2月後には、かたつむりでいっぱいになった30個ほどのガラスの水槽や鉢が、壁ぎわに並び、デスクや窓敷居の上に置かれ、床の上にまで浸略をはじめていた」

こんな出だしから始まる話です。主人公がこうなったのは「動物界では例をみないほど官能的」なかたつむりの交合と、土中に産みつけられた卵からかえる小さなかたつむりの姿に魅せられてしまったからです。もちろん、怖い結末が待っています。

●『すっぽん』

離婚した母親と二人暮らしの11歳の少年ヴィクターは、母親が自分をいつまでも子供扱いするにイライラしています。ある日、母親がシチューの材料として、生きたすっぽんを買ってきます。ヴィクターは、そのすっぽんがすっかり気に入ったのでした。

これぞ「不安を描く天才」パトリシア・ハイスミス!という短編です。

●『クレイヴァリング教授の新発見』

カリフォルニア大学動物学教授クレイヴァリングは、「動物、鳥類、爬虫類、軟体動物の別なく、とにかく新発見をして<クレイヴァリングXXX>というふうに自分の名前をそれに付けたくて」たまりませんでした。ある日、ハワイからほど遠くない島に住んでいるステッド博士が書いた脚註から、ステッド博士の近くの無人島に巨大なかたつむりがいるという伝説を知ります。折しも、長年の勤めにより、1年の有給休暇をもらえるタイミングだったので、クレイヴァリングは喜びいさんで、ステッド博士に会いに出かけたのでした。

●『アフトン夫人の優雅な生活』

精神分析医フェリックス・バウアー博士は、変わった患者には慣れていましたが、50代のアフトン夫人はその中でも変わっていました。実は、真の患者は彼女ではなく、55歳の夫で「健康。短気。体力とスタミナを懸念。最近数カ月は食餌療法と運動の予定表を厳守」しており、暮らしているホテルの一室を運動部屋にするなど、それが行き過ぎていて心配だという相談でした。博士は、何度も夫を連れてくるように言ったのですが、夫は医者にかかるのは断固として拒否していました。夫人は、自分たちのホテルを一度訪ねて来てくれないかと言い、博士も根負けして、それに同意します。しかし、そこで博士が見たものは...。

●『ヒロイン』

21歳のルシール・スミスは、新聞広告を見て応募した裕福な家庭の保母(ナニー)の仕事に、経験がなかったにもかかわらず、「自分の目で見た印象のほうがだいじ」と言うその家の奥さまの判断で採用になります。その家は美しく、庭園も見事で、子供たちのこともすっかり気に入りました。何も問題はないはずでした。

ヒロインの抱える不安と過去が少しずつ明らかになっていくプロセスが、まさにハイスミスの真骨頂です。

●『からっぽの巣箱』

イーディスは、庭に設置してあった巣箱に「リスみたいな顔」で「悪魔のようなきびしいまなざし」の動物がいるのに気づきます。しかし、シジュウカラが棲んでいたその巣箱は、彼らがいなくなった後で、夫のチャールズがきれいに掃除をし、もう何もいないはずでした。リスかイタチだろうと思って、あまり気にしていませんでしたが、そのうち、それが家の中を走っている姿を目にします。チャールズに話しても、目の錯覚だろうと取りあいませんでした。ところが、ある晩、寝室でベッドの裾からそれが飛び出し、矢のように走り去るのを、二人は見たのでした。

おそらく、本書で最も不気味な話です。その理由は...黙っておきます。


さて、この中からさらにベストを挙げるなら、『すっぽん』、『クレイヴァリング教授の新発見』、そして1945年の文壇デビュー作であり、解説の関口苑生が「彼女の原点と断言」している『ヒロイン』になります。次善は『かたつむり観察者』と『空っぽの巣箱』になります。実は、ハイスミスの長編は読んだことがないのですが、短編の方がハイスミスらしさを満喫できるのではないかと感じました。彼女の作風を知るには格好の短編集です。
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  • 掲載日:2026/05/05
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