事故により、夫が若くして突然帰らぬ人となった。
妻の里枝にとっては二度目の結婚。子どもを病気で亡くし、最初の夫と別れ、傷心のまま宮崎の実家に帰って出会った男でした。しかし夫の兄が訪ねてきて遺影を見たとき、これは弟とは別人だと言います。亡き夫が語っていた名前も、過去の経歴も、まさに「谷口大祐」その人なのに。いったい彼は、Xは、何者なのか。なぜ「谷口大祐」として生きることができたのか。
このストーリーに興味を持ったのは、こんな実話があったという新聞記事を見たことがあるからでした。他人の戸籍を手に入れさえすれば、人は別人として生きることができるのでしょうか。
アイデンティティとは何だろうと考えさせられました。それが戸籍だとしたら、そんな不確かな話はありません。生まれてすぐのまだ何もわからない赤ん坊の頃に、親が勝手に名前をつけ、役所に届け出ただけの戸籍。無戸籍の人にも確かなアイデンティティがあることを思えば、名前さえもただの記号にすぎないような気がします。
しかし、過去はどうでしょうか。Xが自分の戸籍を捨てたということは、自分の過去を捨てたかったということでしょう。自分を生んだ親と、自分がその日まで生きて来た人生そのものを。
Xにしてみれば、私の戸籍も何の曇りもなくきれいに見えるのかもしれませんが、過去の経歴という話をすると、私にも消してしまいたいと思う過去は多々あります。しかしそんな経験を経て今の自分が存在するのであり、それこそが私のアイデンティティだと感じられます。
里枝に頼まれてXの正体探しをする弁護士の城戸は在日三世です。自らは日本で生まれ、日本人として生きてきたために普段の生活でそれを意識することはないと言いますが、朝鮮人だの在日だのといった言葉に思わず反応し、ヘイトスピーチの報道などを聞くと冷静ではいられない自分自身を見出します。それこそが決して消せない過去であり、彼自身のアイデンティティだと思うのです。それを理解して結婚したはずの妻と、何ひとつ不足のない結婚生活を送っているように見えながら、どこかしっくりこないのは、アイデンティティの本質の部分で理解し合えていないところがあるからではないでしょうか。
妻の里枝に「谷口大祐」としての過去を語るXは幸せだっただろうと想像します。X自身が憧れる人生。曇りのない経歴。最初は怯えることもあったかもしれません。でもその戸籍で健康保険証や運転免許証を手にし、履歴書を書いて就職し、恋愛し、結婚し、子どもが生まれるに至って、本当に自分は「谷口大祐」であるという錯覚を起こしたに違いないと。
しかし時が経てば、やはりそれは別人だと思う時が来たような気がします。その時彼は、里枝に本当のことを話したくなるのではないでしょうか。変えることのできない過去を抱えた本当の自分を認めてほしい、偽物ではない自分自身を愛してほしいと。
Xの思いひとつをとってもこれだけ色々と想像できるだけに、本物の谷口大祐のことももっと知りたかったという思いが残ります。「現在」よりももっと「過去」に焦点が当てられていればより面白かったのにと思うのは、私の勝手な思いですが。
最後に何よりも、残された里枝家族のこれからが、幸せであることを願います。
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