本が好き!ロゴ

閉じる

本書は「哲学なんか知らない」、「哲学なんか興味ない」という人にこそ読んでほしい。そういう人こそ、実は哲学に「呼ばれ」ている人かもしれないから。

  • 水中の哲学者たち
  • by
  • 出版社:晶文社
水中の哲学者たち
本を読んでいると何年かに1冊くらい、読む前と読んだ後で世界の見え方が変わり、出合えてよかったと心から思える本にぶち当たることがある。永井玲衣の『水中の哲学者たち』は、私にとってまさにそんな本だ。

例えばp.16-19。
世界はわたしから目をそらし、すました顔でとぼけている。
おそろしくなったわたしは、どうやらこの奇妙な世界の「正体」が書かれているらしい、哲学書を手に取ってみた。(中略)手始めに、サルトルという名前の哲学者が書いた『存在と無』という本をひらいてみる。
存在とはばばばばばびぶぶべべぼ、あるところのものびびびばば、ではないところばばっええじゃややえあくうしたわかちこわかちこ。(中略)
本を閉じた。脳が爆発してしまう、と思った。
その後、永井は「約束は守らなければならないか」というテーマで行った哲学対話の中で、高校生が水中でもがくように言葉を絞り出していたことを引いて
それを見た私はふと思う。昔読んだわけのわからない哲学書。彼は、世界のわけのわからなさを、わからないまま伝えるしかなかったんじゃないか。
と書く。

これは哲学書に限らず、ほとんどあらゆる分野のほぼ全ての専門書について全く同じことが言える。例えば数学書。あの不気味な記号と不可解な用語──それは数学者たちが世界のわけのわからなさを、わからないまま伝えるしかなかったその苦闘の果てに編み出した、苦し紛れの手段だったのだ。ああ何と深い、そして本質を突く洞察! この1文を読んだ時、私は「仮に何かのトラブルで、この本を19ページまでしか読めなかったとしても、十分すぎる気づきを得られたから、もう悔いはない」と思った(結局、何のトラブルもなく本書は最後まで読み終えたのだが)。

ちなみに「大事なことなので二度言いました」じゃないが、この1文はさまざまに言葉を変えながら本書の中で繰り返し語られることになる。まるで変奏曲のように。そう、この本書『水中の哲学者たち』は、1つの主題がさまざまなに形を変えながら繰り返し現れる変奏曲のような作りになっているのだ。J・S・バッハの『ゴルトベルク変奏曲』のような。

本書は哲学者(と書いて語弊があるなら哲学研究者)、永井玲衣による哲学エッセイである。永井自身はもしかしたらサルトル哲学の研究者かもしれないが、哲学対話を精力的に(?)行っている。
哲学対話とは簡単に言えば、哲学的なテーマについて、ひとと一緒にじっくり考え、聴きあうというものだ。普段当たり前だと思っていることを改めて問い直し、じりじり考えて話してみたり、ひとの考えを聴いてびっくりしたりする。ひとや団体によってさまざまなスタイルがあるが、先輩に連れてこられて以来、いまに至るまでこの活動を続けている。(p.17)
私も「なんちゃって」レベルで『存在と時間』『論理哲学論考』を読んだりしていることもあって、本書を読みながらつくづく「哲学っていいな」と思い、自分も哲学を本格的にやってみたいような衝動にかられそうになっては「ああ、いかんいかん」と何とか踏みとどまった。
わかる、はわからない。
わからないことはわからない。わかることもわからない。わかろうとしてわからなくて、どうしたらいいのかもわからない。(p.52)
と、世界の「分からなさ」の前になすすべなく立ちすくみ、絶望している彼女は、哲学に「呼ばれ」た(あるいは「呼ばれ」てしまった)側の人だ。対して、自分の理解力のなさに立ちすくみ、覚えたはずのことがどんどん頭から消えていくことに絶望することはあっても、世界の「分からなさ」をそのまま受け入れてしまう私は、哲学に「呼ばれ」なかった側の人間だから。

本書は「哲学なんか知らない」、「哲学なんか興味ない」という人にこそ読んでほしい。そういう人こそ、実は哲学に「呼ばれ」ている人かもしれないからだ。本書を読んで哲学に目覚め、哲学の泥沼に足を取られるようなことになったとしたら、面白いと思う。
  • 本の評価ポイント本の評価ポイント本の評価ポイント本の評価ポイント本の評価ポイント
  • 掲載日:2026/04/19
投票する
投票するには、ログインしてください。

この書評の得票合計:9

読んで楽しい:1票
参考になる:8票
あなたの感想は?
投票するには、ログインしてください。

この書評へのコメント

    No Image

    コメントするには、ログインしてください。

    水中の哲学者たち の書評一覧

    取得中。。。