ずうっと読みたかった『もう一つの国 』(上)(下) ジェームズ・ ボールドウィン著 野崎孝訳を読む。
第一部では、ジャズドラマーの黒人ルーファスが主人公。ハーレムのクラブでズージャの日々。そこへ白人女性レオナが現れる。バツイチ、「子供を奪われた」レオナ。二人は恋に落ち、一緒に暮らす。愛するあまりか、レオナにDVするルーファス。愛憎半ば。心身ともに耐えられなくなった彼女は精神に異常を来たし、出身地の南部に帰ることに。嘆くルーファスは結局投身自殺する。
第二部は、ルーファスの友人でイタリア人のヴィヴァルドとルーファスの妹のカップルを核に、そこに作家志望のリチャードとキャスの夫婦、かつてルーファスと恋人だったユダヤ人の男性エリックと現在の恋人フランス人の男性イーヴ。この三組とて順調ではなく、浮気(本気)など複雑な恋愛模様が描かれていく。
第三部は、三組の恋愛の顛末が書かれているが、当然、ハッピーエンドではない。
「黒人とはこういうものだと白人が信じている、そんな人間だと自分を思いこむな。それは黒人にとって、生きながらの死を意味する。白人の信じているところは、黒人の劣等性を証するものではなくて、白人の非人間性と恐怖を証明するにほかならない。ひとの言うところは(こういう私の言葉まで含めて)いっさい信じないで、ただただ自己の経験を信ぜよ。ひとが描きあげる黒人像ではなく、あるがままの自己の姿を黒人の実態と思え」そう彼は「囚獄(ひとや)はゆらぎぬ」と題する、甥の与えた書簡の形をとったエッセイのなかで強調する。狡猾で、怠惰で、卑屈で、知能も品性も低く、好色で、官能的で、等々、要するに白人は、黒人一般を同等の人間とは認めなかったわけだが、ボールドウィンは、アメリカ社会に一般化しているそうした迷妄(彼の言葉を使えば「神話」)を払拭して、現実の姿を直視せしめようとする」(「訳者解説」から引用)
1960年代のニューヨークの描写がいい。上巻に折り込まれたニューヨークの地図を何度眺めたことか。
パーシヴァル・エヴェレットを遡ると、ジェームズ・ボールドウィンに辿り着く。
人種差別、性差別…。当時も話題となったようだが、いま読んでも素晴らしい。
訳者が初代『ライ麦畑~』の翻訳の人だから、スラングも巧みに当時の旬の日本語(若者言葉)化に取り組んでいる。
余談。「ズベ公」という言葉を何十年ぶりかで目にした。
とりわけ冒頭と終わりが素晴らしい。イントロとアウトロがカッコイイジャズの楽曲みたいにだ。
アメリカの光と影。影をとらえるのが文学の役目かも。
絶版らしく、図書館から借りて読んだ。何せ昔の文庫本ゆえ、文字が小さい。新訳でなくてもいいから、復刊を望む。
『ジョヴァンニの部屋』ジェームズ・ボールドウィン著
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