感想を書きにくい本である。
一読して、勉強になったと思った。
けれども、どこか騙されている感じが残った。
この騙されている感じ、を追跡してみたい。
応援消費とは、「苦境の人や企業を消費で支援する動き」として、メディアで使われるようになったと著者は書く。
ここからちょっと、アレと思ったのである。
一般的には、応援消費とは、○○である、という形で仮でもいいので定義からはじまることが多いが、この本では、「義援・義捐」的な意味での消費、というあり方の現象面から語りだす。
そこがなるほどと思うと同時に騙されている感じになったのである。
著者はマーケティング論を主戦場としている。
なので、こうした応援消費的な現象が、マーケティングを刺激したという形で、実はマーケティングの側から語っている。
そのあたりも、不思議なねじれを感じさせたところかもしれない。
実は、第5章を読むと、ガルブレイスからコトラーへ、というマーケティングのビッグネームの学説史の整理の中で、マーケティング概念の拡張が図られる。その拡張概念が、応援消費という行為を照らす。寄付や贈与がお礼としてさらなる贈与を呼び起こし、取引とまではいえない交換という現象を理解するための補助線となるのである。
ただ、確かに、これがもし新書の最初で語り始められたとしたら、眠くてすぐに本を放り投げてしまったかもしれない。
この取引以前の交換行為を引き起こす活動すべてをマーケティングと呼ぼうと、定義は拡張された。
それを最も照らしているのが「ふるさと納税」の章だと思う。
ふるさと納税は、単に寄付における寄付金控除を住民税の控除に転嫁する、制度にすぎない。
住民税として徴収されるはずのお金を、ふるさと納税という寄付をすることで、その寄付金の一部が住民税から控除される。だから限度額なるものがある。
しかし、ただ寄付をくれといっても、どこに寄付していいかわからないから、各自治体は返礼品なるものを用意して、寄付のお礼をする。
この寄付行為とお礼の贈与というセットが、あたかも、返礼品をお得に購買している感覚になり、寄付を募るためのマーケティングが刺激されるという現象説明で、やっと、応援消費とマーケティングの問題が理解できたように感じたのである。
どういう返礼品なら寄付へ踏み切るか。消費者の側は寄付をしてお礼をもらっているというよりは、どんなお得な返礼品を得るためにふるさと納税をしよう、そういう感じになってしまっている、ということなんだろう。
面白かったのは、贈与は贈与のままではいられない、という純粋な贈与の不可能性についてだった。
お布施はご利益と互酬されることを前提されるし、投げ銭はファンサと互酬されることを前提される。
どこかのネットラジオの中で、応援してもらったら僕らが成長することが応援してくれた人への最大のお返し、ということを言っている人がいて、不思議な論理だなと思ったけれど、これは応援消費的なものなのだろう。
アイドルに大枚をつぎ込む人も、そういう気持ちなのかもしれない。
で、消費者側の心持の話なのかと思ったら、最終的には、そうした需要を創造するマーケティングの話になっていく。
応援という純粋な心持までマーケティングが喚起する、と言ってしまうと、怒る人はいるかもしれない。純粋な気持ちを市場原理に踏みにじられた気持ちになるからだ。でも、純粋な贈与は不可能だとなったら、できるだけ社会的にグッドな取引、というように市場原理を通じての社会的公正もありうるかもしれない、と著者は最終的には述べている。
騙されたと思ったのは、おそらくそういう社会的公正を目指す消費運動の話だと思ったら、マーケティングの不可避性の中で市場原理をうまく使っていこうよ、というメッセージが出てきたからだろう。私の中にも、ピュアさがまだ残っていた、ということである。
騙されたと思ったけれど、著者の考え方は面白い。著者もどちからというと、市場原理の外はあるのかと問う中で、市場原理をハックする形でしか、それはあり得ない、という立場に行きついたのかもしれない。
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