主人公の栗原が本庄医院から研修を終えて、信濃大学病院に帰って2年がたつ。
現在は大学院生と同時に班長北条先生が率いる3班に所属している。
何より、作者夏川が尊敬心酔している漱石、それも「草枕」を暗誦していて、その「草枕」の文体を彷彿させる漢文調まじりの少し大げさな文体が、読んでいて楽しく中毒になってしまう。
信州の冬の「草枕」流情景描写を堪能してほしい。
「玲瓏(れいろう)たる大気のなか、雪化粧をまとった北アルプスの大山嶺は翼を広げるように悠揚と左右に連なり、神聖なまでの空気をまとって横臥している。
春は杳然たる霞をまとい、夏は眩い新緑に包まれ、秋は枯淡の茜色に染まる常念岳は、その整った三角錐の立ち姿から、四季を通じて特異な存在感を保っているのだが、冬の美しさは格別である。
澄み渡った冬空のもと、天を支えるように突き出た白い峰は、悠々と足下の安曇野を睥睨しつつ、超然たる品格さえ漂わせている。木も沢も、風も雲も、ことごとくがこの山の威に打たれたごとく鎮まり、見上げる人もまた自分が雄大な自然の一片にすぎぬことを知らされるのだ。」
作品のクライマックス。末期髄癌の29歳の女性が、死を目前にして、死ぬなら家で死にたいという。すでに、がん治療は諦め、痛みの緩和だけをしている状態。信濃大学病院には、ルールガイドラインがあり、この状況で退院、大学病院の医師の自宅回診は禁止されている。
そのルールを破って、主人公栗原は奔走する。その栗原の思いが心を打つ。
「人が死ぬというのに、不安でない人間などいるはずもない。百人いれば百通りの形で死んでゆく。そのすべてに振り回されながら懸命に寄り添っていくのが医療者である。
複雑怪奇な医療現場の中で、ガイドラインが必要であることは間違いない。ルールや規則も、それがなければより一層の混乱をきたすのは間違いない。けれどもそれらはあくまで道具である。ただの道具が、いつのまにやら、わが物顔で病院中を闊歩している。積み上げた道具があまりにも多すぎて、道具の向こう側が見えなくなっているのではなかろうか。」
だめになる企業や組織は自分たち用のルールにしがみついて、誰、何のために、ルールの先に存在しているものが観ることができない。
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