身寄りのない二人の子どもはあるお百姓に、働き手として引き取られる。
ろくなものも食べさせてもらえず、朝から晩まで働き詰めの幼い子どもらは、真冬の雪の中を飛ぶ赤い小鳥に導かれて、不思議な扉にいきつく。その扉の向こうは喜びの世界ミナミノハラ。沢山の子どもたちと一緒に遊びに遊び、「みんなのお母さん」と一緒に、美味しいご飯も食べます。
扉が開いていれば、いつでもミナミノハラに来ることはできるのだけれど、やがて、二人はミナミノハラに入って、向こうから静かに扉を閉めてしまう。こちらには二度と戻れないように。
初めて、この本に出会ったときは驚いたし、戸惑った。
ミナミノハラは天国だろうか。子どもたちは、こちらの世で幸せになれずに死んでしまった、ということだろうか。
静かに閉められた扉が示すのは、作者自身による強い怒りに思う。
扉を閉めることは、子どもたちの絶望の顕れだろうが、何よりも、こちらの世界でわたしたちと共に生きることへの子どもたちからの拒絶だ。
この世で子どもが生きることを許されないなら。周りの人たちがそれを知りながら見て見ぬふりを続けるなら。
扉のこちら側にいるわたしたちは、子どもたちに、こんなふうに見切りをつけられてしまうかもしれない。
「お百姓さんがふたりをひきとったのは、ふたりが美しい澄んだ目をしているからでも、かわいい小さな手をしているからでも、また、母さんが死んだあと、かなしくてとほうにくれていたふたりを、かわいそうにおもったからでもありません。いいえ、お百姓さんは、自分につごうがいいから、ひきうけたのでした。子どもの手というのは、とても役にたつのです。め牛の乳をしぼることも、お牛の体をきれいにすることもできます。子どもが木の皮の舟をつくったり、笛をつくったり、丘の斜面に遊び小屋をたてたりすることを、やめさせればいいのです。子どもがしたいことを、させないようにすれば、どんな仕事でもさせられるのです」
作者リンドグレーンは実際に、子どものために、長年にわたり、いろいろな社会的な活動をしていたそうだ。
やかまし村の子どもたちやカッレくんの眩しいような日々が、子どもたちみんなの標準装備であってほしい。
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