こうの史代のヒット作。
戦時が舞台ではあるが、庶民の暮らしを丁寧に描き、戦争漫画としては異色の作品と言ってよいだろう。
浦野すずは広島の子。いささかおっとりとした、絵を描くのが大好きな女の子である。
怖い鬼ィちゃん(兄)と仲良しの妹と、家業の海苔作りを手伝いつつ暮らしている。
ある時、すずは自身も気づかぬうちに見初められ、望まれて嫁に行く。相手の家は軍港・呉にあった。
海軍で書記として働く夫の周作、工廠に務める義父、足の悪い義母の北條家。
その一員となったすずは、慣れぬ土地で、戦時の不自由な生活を工夫しながら切り盛りしていく。やがて夫に死に別れて婚家を出てきた、やや性格のきつい義姉と、おとなしくかわいらしいその娘も加わる。
代用食がまずかったり、貴重な砂糖を無駄にしてしまったりと、時に失敗がありつつも、口数は少ないが優しい夫の支えもあり、すずの呉での暮らしは順調に進むかにも見えたのだが。
物語はすずの視点で綴られる。おっとりしたすずは時に、夢と現実の境目を漂うようでもあり、ファンタジックな挿話もある。漫画という手法を用いた表現の豊かなバリエーションにも驚かされる。
戦時の暮らしは相当に史料の裏付けがあるようで、楠正成ゆかりの楠公飯、小国民カルタ、隣組、千人針といったディテールも読ませる。
戦時の不自由はありつつも、何気ない日常を送る北條家だが、すずと周作のそれぞれの過去を巡り、ほんわかした夫婦の間にも波風が立つ。
だが、さらに大きな悲劇がすずを襲う。軍港である呉は、数多くの空襲を受けた街でもあった。すずの妹は痛手を負った姉を見舞い、いっそ広島へ帰ってくるように勧める。その広島もまた大きな惨禍に見舞われる運命にあることをまだ誰も知らなかった。
それぞれの想い、それぞれの悲劇を抱えながら、物語は呉の北條家で幕を閉じる。
そこは、世界の片隅に、すずが見つけた「居場所」であったから。
世は移り変わり、人は来たり、人は去る。
すずの「居場所」も、私の「居場所」も、あなたの「居場所」も、時を経て、姿を変え、やがては消え去るときも来るだろう。
それでも世界の片隅に、確かにそれは存在したのだ。
戦争をこんな風にも描きうるという驚き。
多くの人を捉えるに足る強さが、確かにこの作品の中にはある。
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